遷宮記念シンポジウムin出雲 伊勢神宮と出雲大社 ~遥かなる神社建築の源流を求めて~

60年ぶりとなる出雲大社(出雲市大社町)の平成の大遷宮「本殿遷座祭」と、20年に1度の伊勢神宮(三重県伊勢市)の式年遷宮。今年、重なった二大神事を記念したシンポジウム「伊勢神宮と出雲大社~遙(はる)かなる神社建築の源流を求めて~」(主催・山陰中央新報社、中日新聞社)が去る4月20日、出雲市塩冶有原町2丁目の出雲市民会館で開かれた。一昨年に東京、昨年に名古屋で開催したのに続く第3弾。最終回となる今回は、千家和比古・出雲大社権宮司による特別講演や黒田龍二・神戸大学大学院工学研究科教授の基調講演、女優で國學院大學客員教授の浅野温子さんの「よみ語り」に加え、元NHKエグゼクティブアナウンサーで熊野神社宮司の宮田修氏の司会で、新谷尚紀・國學院大學文学部教授、櫻井治男・皇學館大学文学部教授、錦田剛志・島根県神社庁参事に、黒田氏と浅野さんが加わったパネルディスカッションを開催。遷宮の意義、思いを語り、詰め掛けた1200人を引き込んだ。

主  催/
中日新聞社 山陰中央新報社
後  援/
神々の国しまね実行委員会 三重県観光キャンペーン推進協議会
特別協力/
神宮司庁 神社本庁 伊勢神宮式年遷宮広報本部 出雲大社御遷宮奉賛会
島根県神社庁 中国地区神社庁(鳥取県・岡山県・広島県・山口県)
協  賛/
日鐵住金建材株式会社 國學院大學 皇學館大学

基調講演

「伊勢神宮と出雲大社の起源-纒向遺跡から伊勢・出雲へ」

講師
黒田 龍二(くろだりゅうじ)
(神戸大学大学院工学研究科教授)
専門は日本建築史。神社建築の歴史と祭祀との関連で考察することが中心的課題。著書に『中世寺社信仰の場』『纏向から伊勢・出雲へ』『神社 建築と祭り』、復元に纏向遺跡、極楽寺ヒビキ遺跡など。

 今回のテーマは、伊勢神宮と出雲大社の建築の源流について、3世紀ごろの大王の王宮があったとされる纒向遺跡(奈良県桜井市)の発掘調査の成果や文献資料を踏まえて考えたいと思います。

 大王の宮殿から伊勢神宮や出雲大社が発生したということが、古事記と日本書紀に記されています。建築物でどういう祭祀(さいし)が行われるかを考えると、初期大和王権の王宮から伊勢神宮と出雲大社が発生した過程が分かります。

 まず祭祀について、日本書紀と古事記の記述から分かるのは、崇神天皇の時代までは、大王の宮殿にはご神体の「宝鏡」が置かれており、王宮の建物内で祭事を行ういわゆる「同床共殿」の祭祀が行なわれていたことです。その宝鏡を王宮から出して、その後伊勢神宮では宝鏡を正殿で保管しますが、正殿はその形から「宝庫」ともみることができます。また正殿では祭儀は行ないません。一方、出雲大社では、江戸時代まで国造が本殿内で祭祀を行っていたことが分かっています。

 建築学から見ますと、出雲大社本殿は柱の間が2間、正面から見ると真ん中に柱がくるという建築様式です。偶数の柱間は寺社、王宮の中心建物では例外的なものですから、出雲大社本殿は、柱間が4間の纒向遺跡の宮殿と著しい共通性があるといえます。そのことを裏付けるように、古事記には王宮に似せて本殿を作ったと書いてあります。また、伊勢神宮の本殿は弥生時代の倉庫の形式を受け継ぐ様式で、纒向遺跡の王宮内にある倉庫建物の痕跡とよく似ています。

 これらのことを踏まえますと、纒向遺跡の倉庫=宝庫を源流とし、正殿以外での祭祀を行う伊勢神宮、纒向遺跡の王宮を起源に、本殿内での祭祀を行ってきた出雲大社ということが分かっていただけるかと思います。

 

伊勢神宮 『式年遷宮』
 式年遷宮の儀式は天武天皇が創意し、続く持統天皇の御代から国家最大の重儀として、1300年にわたり連綿と続けられています。20年に一度新しい神殿を造営し、装束・神宝を整え神様にお遷りいただくものです。第62回神宮式年遷宮は、平成17(2005)年春に準備が始まり、本年10月に遷御の儀が予定されています。
出雲大社 『平成の大遷宮』
 古代においては高さ16丈(48メートル)と伝えられる出雲大社御本殿。高さ8丈(24メートル)の現在の御本殿は延享元(1744)年に造営され、以来文化6(1809)年、明治14(1881)年、昭和28(1953)年の三度の御屋根替えと修理を経て今日に至っています。5月10日には、60年ぶりの「本殿遷座祭」が執り行われました。