遷宮記念シンポジウムin東京 伊勢神宮と出雲大社 〜平成の遷宮に神々を見つめる〜

パネルディスカッション

『伊勢と出雲と日本の神々』

「神無月」と「神在月」

宮田 私は神主をしておりてまして10月には秋祭りがたくさんあります。お祭りに行くと氏子さんたちが私に「神主さん、今は10月で神無月だ。神様は出雲へ行っているじゃないか。今この神社には神様はいないんだから、そんな時にお祭りしたってしょうがないじゃないか」と言われて困ります。10月というのは神無月です。ところが出雲では「神在月」と言います。

錦田 実は、私が奉仕する万九千神社は、伝承によれば全国の神様が出雲にお集りになって、最後に会議のまとめと直会(なおらい)をなさるという小さなお宮です。同じような神在の伝承を持つ神社が、出雲大社や佐太神社をはじめ出雲各地にあります。この季節になると出雲へ神を送ってまたお帰りになる神を迎えるという伝承も全国各地に広がっています。なんと北は青森県から南は鹿児島県あたりにまで。それぞれの地域でユニークな祭りと伝承が今なお伝わっているようです。

宮田 出雲の神様が縁結びの神様になったのは、いつ頃のことですか。

錦田 縁結びの神様というのはもちろん全国にいらっしゃるのですけども、古代と言うよりも中世、そして一番流布するのは江戸時代になってからです。当時、出雲大社には御師と呼ばれる、特に西日本を中心に出雲の神様の御神徳を広める、言わば布教師たちがいたのですね。そういう人々が、出雲は全国の神様がお集まりになって、そして縁を結ばれる、男と女の縁を始めとして様々なご縁を結ばれますよ、と広められたのです。これが大きな画期だったと思いますね。

まとめ

浅野 今年たくさん辛いことが東日本、紀伊半島、いろいろとありましたけども、その中で今、絆という言葉が皆さんのキーワードのようです。伊勢、出雲の遷宮もやはり絆。そして人と人の絆、人と業との絆ということが遥か昔から繋がっているわけです。この現世が起きた時からずっと繋いでいらっしゃる。伊勢と出雲の遷宮にあたって、私たちはこれを伝えていかなければいけないんだろうなと思っています。

新谷 歴史は1日ではできません。この伊勢、出雲という崇高な神社ですが長い歴史の中では南北朝時代とか戦国時代とかいろいろと混乱した時代、なかなか遷宮ができなかった時もありました。出雲大社もあの鎌倉時代に大きな三本柱が焼け落ちて、しばらくは正遷宮ができない時もありました。そういう時代にも頑張って現在まで伝えてこられた。それでいま私たちはその先人たちのおかげで精神豊かに生きていられるのだと思います。遷宮や歴史を伝えていく役割に私たちも少しでも立てれば有り難いと思っています。

櫻井 浅野さんが絆ということが本当に大事なことだとおっしゃいましたが、絆を作る、あるいは絆が保たれると言う時に、今までの話を聞きますと祭りを営むということが絆を保ったり絆を繋いだりすることだろうと。すなわち神々というのは絆のあるところに降りてこられるのだろうと。そうした時に私たちは今日の神話のお話の中で須佐之男のことに事寄せていけば、最後、須佐之男命が古事記によれば須賀の地に行かれて「我が御心清々し」とおっしゃった、あの気持ちになれるようにこの日本を作っていければと感じています。

錦田 東日本大震災の甚大な被害を目にし、世の中が平和で何事も無いことの有り難さを身に染みて感じました。これまで私たちは、神様の恩恵の面だけを強調してきたような気がします。自然についてもそうです。目に見えぬものに対する恐れ、慎み、いわば畏敬の念も、私たちは忘れずに歩まないといけないのだとつくづく思いました。

宮田 神主の資格を取るために私が勉強したのは、日本の伝統的な考え方です。ずっと以前から日本人がこの国で暮らしてきた中で自然をどう見たか、共同体をどう見たか、祖先をどう見たか。その中で私が一番感動した考え方というのは、日本人は神道では「中今(なかいま)を生きる」という言い方をします。私には両親がいます。その両親に両親がいます。そのまた両親に両親がいます。それで命がずっと昔から続いてきて、そしてこの後に私の子ども、孫とそのまた命が続いていく。その命のリレーの中、命が続いている中の今を生きているんだという考え方。日本人は素晴らしいことを考えてきたというふうに思いました。