遷宮記念シンポジウムin名古屋 伊勢神宮と出雲大社 〜遷宮に秘められた意味をめぐって〜

「遷宮」とはそもそも何のために行われ、どのような意味を持つ行事なのか。なぜ伊勢神宮の式年遷宮は20年に一回とされているのか…遷宮をめぐるこれらの疑問についてはさまざまな見解がある。だが遷宮について語り合えばあうほど、儀式としての奥深さ、由緒正しさそして日本という国の文化の源がほのかに見えてくる。シンポジウム後半のパネルディスカッションでは、パネリストそれぞれのこのテーマに関する見解が披露され、楽しい議論が交わされた。満員の聴衆も熱心に耳をかたむけていた。

パネルディスカッション

『御遷宮と日本文化〜遷宮に秘められた意味をめぐって〜』

司会
宮田 修(みやたおさむ)
(元NHKエグゼクティブアナウンサー、熊野神社宮司)
NHK入局後、報道・スポーツアナウンサーとして活躍。大阪局時代に、阪神大震災の第一報を伝えたことでも知られる。NHK在局中に神職資格を取得、退職後宮司を務める。
パネリスト
浅野 温子(あさのあつこ) さん
(女優・國學院大學客員教授)
1977年デビュー。ドラマ『あぶない刑事』『101回目のプロポーズ』、映画『スローなブギにしてくれ』などに出演。國學院大學で教鞭をとる傍ら、「よみ語り」を日本全国各地で行う。
新谷 尚紀(しんたにたかのり)
(国立歴史民俗博物館名誉教授・國學院大學文学部教授)
早稲田大学第一文学部史学科卒業。社会学博士(慶應義塾大学)。総合研究大学院大学名誉教授。『お葬式ー死と慰霊の日本史ー』『伊勢神宮と出雲大社ー「日本」と「天皇」の誕生ー』など著書多数。
櫻井 治男(さくらいはるお)
(皇學館大学社会福祉学部教授)
皇學館大学社会福祉学部長。専攻は宗教社会学、神社祭祀研究。明治末期の神社整理と地域共同体との関わりの調査研究に携わり、近年は神道と環境問題、地域コミュニティと福祉文化について研究を進める。
黒田 龍二(くろだ りゅうじ)
(神戸大学工学研究科教授)
専門は日本建築史。神社建築の歴史を祭祀との関連で考察することが中心的課題。著書に『中世寺社信仰の場』『纒向から伊勢・出雲へ』『神社建築と祭り』、復元に纒向遺跡、極楽寺ヒビキ遺跡、出雲大社本殿など。
錦田 剛志(にしきだつよし)
(島根県神社庁参事・万九千神社禰宜)
國學院大學文学部史学科考古学専攻卒業。元島根県教育庁職員(古代出雲歴史博物館専門学芸員等)を経て神職に専従。著書に『古代出雲大社の祭儀と神殿』『伊勢と出雲の神々』(共著)などがある。

宮田 浅野さん、先ほどよみ語りされたお話は今回が初めてだとか。

浅野 斉王(神に仕えるもの)になった時の倭姫の気持ちや垂仁天皇が一番愛しいものを神に捧げる父と娘の別れ。演じていていろいろなことを感じます。

宮田 新谷先生、それを含めて要するに女性が神様にお仕えしています。そのあたりはどういう経緯でしょうか。

新谷 天皇とか世界の王様は、二重王権論があるように武力的、政治的な権力だけではダメなんですね。宗教的というか、神を祀る王でありながら軍事力を掌握して、民を、しっかりと治安を守り経済を安定させると。その中でどうも日本では古代から女性が祭祀、男性が政治という形で長く貫かれているんじゃないかと思います。

宮田 非常にわかりやすいですね。皆さん奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡をご存知だと思いますが、その中にある建物が伊勢と出雲の原点だとおっしゃっている神社建築史がご専門の黒田先生です。

黒田 祭政の分離といいますか、天照大神を伊勢へ移そうという政策が取られたのは崇神・垂仁朝ですね。そのことは日本書紀に書いてあるわけです。伊勢神宮が作られたことの意味を。纒向遺跡で2009年に初めて出てきた遺跡がどうも崇神・垂仁期の王宮らしい。日本書紀には「天照大神・倭大國魂、二(ふたはしら)の神を天皇の大殿の内に並祭る」の記述もあります。非常に尊い場所に並べて祀っておられた。これが同床共殿と言われる天皇が天照大神に対して同じ建物の中で祭りを行っていて、その遺跡が出てきたということです。

田 錦田さんは出雲の神職ですので、出雲大社の御創建については。

錦田 出雲大社の御創建というのは、神話の世界に遡ると言われます。よくご存じの方も多いとは思いますが、国譲り神話が鍵です。高天原の神々が地上に降りて来られるにあたって、それまで地上世界を統治していた大国主神に対してこの国土の統治権などを高天原の神に献上するようにと命じられるのです。その代償として天にもそびえる壮大な神殿が造営されるというのが出雲大社の創建伝承です。

宮田 新谷先生、伊勢の神宮の式年遷宮というと建物を替えるのだろうと思いがちですが、それ以外のものも全部替えています。宇治橋まで架け替える。これはどういうことでしょうか。

新谷 高天原に天照大神がいらっしゃいますけれども「私だと思って祀りなさい」とおっしゃって渡されたのが八咫鏡(やたのかがみ)ですね。その鏡は伊勢にお祀りになられます。これは変わらないんですね。ところが20年ごとに奉納される御神宝類は20年で変えられる、西の宝殿に移されて都合40年ですが。

宮田 もったいないから。

新谷 はい、破棄しますね。何故かというと、我々みたいな穢らわしい人間が触ってはいけないんです。神様にお供えしたものだから、もったいない。ところが近代の「もったいない」は経済的に「もったいない」からとっておく。近世までは宗教的なもったいなさ、いずれももったいないという気持ちは同じでいいと思います。

宮田 今、伊勢神宮は向かって右側に建物が建っています。今度は左側に建つわけですが、左側の御敷地の中に心御柱(しんのみはしら)を覆っている小さな小屋がありますよね。どうしてああいうことをしておくのですか。

黒田 神宮の式年遷宮というのは神様の建物が右と左を行き来する、これを正確に同じ場所に建てる必要がある。そのための極めて神聖な目印が心御柱です。こういうお宮さんは伊勢神宮にならったお宮さん以外には存在しないです。世界中の聖地に行かれても、何もない聖地というのはあると思いますが、その中心地の横に巨大な空き地があるというのは無いですね。これはどういうことかというと、神宮ではこの式年遷宮をするということが神宮の根本だからです。

宮田 4人の先生方になぜこういうことをするのか、という日本人の心の奥底についてランダムに激論を交わして頂きたい。

錦田 新しいものというのは非常に清々しく、人の気持ちがわくわくドキドキしませんか。私は、神殿の建て替えによって、その地に神様がご鎮座された時の人々の喜びや感激を定期的に思い出して忘れることなく、その文化や信仰といった心の部分、それに技術の部分をちゃんと後世に伝えようとしたのではないかと。その繰り返しこそが遷宮のもつ大きな意義ではないでしょうか。

黒田 日本の国というのは天皇家と非常に深い関係があって、天皇家の存続が日本の国家の存続とリンクしている。その天皇家と非常に深い関係があるのが伊勢神宮です。だから伊勢神宮と天皇家はひとつのセットとして存続していかなければいけない。天皇が替わられた時には宮を遷り、京も遷す。その時に伊勢の神宮もどこかで建て替えないといけないわけです。それを完全に制度化したのが天武・持統朝ですね。その時にきちっと年限を決めて、20年で建て替えていくというのが永遠に日本の国家と天皇家を存続させるためのひとつの方策として決められたのではないかと考えています。

櫻井 永遠性というキーワードがよく言われるので、それはやはりそうした言葉に象徴されるものがあったと思います。基本的に毎年の神嘗祭が行われ、その神嘗祭においては榊を新しく飾ったり、そしてその年の初穂を懸税(かけちから)として奉納されるというような、そうした新たなスタートの時にいろいろなものを整えて、そしてお祭りをすることが新たなスタートになる、そういう意識が基本的に流れているんだろうと思います。