遷宮記念シンポジウムin出雲 伊勢神宮と出雲大社 ~遥かなる神社建築の源流を求めて~

パネルディスカッションでは、日本を代表する聖地、出雲大社と伊勢神宮の社殿建築や遷宮について、5人のパネリストが宮田氏の司会で持論を展開。遙(はる)かなる時を超えて、神社建築の起源について考察を深めたほか、遷宮への思いを語り合った。

パネルディスカッション

「伊勢神宮と出雲大社~遥かなる神社建築の源流を求めて~」

司会
宮田 修(みやたおさむ)
(元NHKエグゼクティブアナウンサー、熊野神社宮司)
NHK入局後、報道・スポーツアナウンサーとして活躍。大阪局時代に、阪神大震災の第一報を伝えたことでも知られる。NHK在局中に神職資格を取得、退職後宮司を務める。
パネリスト
浅野 温子(あさのあつこ) さん
(女優・國學院大學客員教授)
1977年デビュー。ドラマ『あぶない刑事』『101回目のプロポーズ』、映画『スローなブギにしてくれ』などに出演。國學院大學で教鞭をとる傍ら、「よみ語り」を日本全国各地で行う。
新谷 尚紀(しんたにたかのり)
(国立歴史民俗博物館名誉教授・國學院大學文学部教授)
早稲田大学第一文学部史学科卒業。社会学博士(慶應義塾大学)。総合研究大学院大学名誉教授。『お葬式-死と慰霊の日本史-』『伊勢神宮と出雲大社-「日本」と「天皇」の誕生-』など著書多数。
櫻井 治男(さくらいはるお)
(皇學館大学社会福祉学部教授)
皇學館大学大学院文学研究科修了。博士(宗教学)。専攻は宗教社会学・神社祭祀研究。『地域神社の宗教学』『宗教と福祉』『知識ゼロからの神社入門』など編著書多数。
黒田 龍二(くろだ りゅうじ)
(神戸大学工学研究科教授)
専門は日本建築史。神社建築の歴史を祭祀との関連で考察することが中心的課題。著書に『中世寺社信仰の場』『纒向から伊勢・出雲へ』『神社建築と祭り』、復元に纒向遺跡、極楽寺ヒビキ遺跡、出雲大社本殿など。
錦田 剛志(にしきだつよし)
(島根県神社庁参事・万九千神社宮司)
國學院大學文学部史学科考古学専攻卒業。島根県教育庁職員(古代出雲歴史博物館専門学芸員等)を経て神職に専従。共著に『古代出雲大社の祭儀と神殿』『伊勢と出雲の神々』『出雲大社ゆるり旅』などがある。

宮田 まず、出雲大社で見つかった巨大な柱について考えてみたいと思います。

錦田 神話の世界では、出雲大社は天にもそびえるような壮大な神殿だったと書かれています。戦前から16丈(48メートル)本殿の復元案はあり、2000年(平成12年)に巨大な柱が見つかりました。出雲人としては、16丈の社殿は存在したと思いたいですね。

新谷 大学の私の研究室は11階、高さ44メートルの場所にあります。下を見ると足がすくむので、48メートルはおかしいと思っていましたが、現地で3本柱を見ると、あったのかもと思うようになりました。屋根の一番上が48メートルでも、そこに立つことはないわけで、社殿の床の高さが現在は地上約5メートルですが、その倍の約10メートルくらいなら、昇っていけるのではないかと。

黒田 出てきた柱は鎌倉時代、1200年代のもの。鎌倉時代には(高層神殿は)確実にあった。それ以前がどうだったかということが問題になります。

宮田 技術は時代とともに高まると考えがちですが、古代のほうがこういう建物を造るのが上手だった可能性はありませんか。

黒田 一元的に進むわけではないと思います。掘立柱で建てるか、礎石柱で建てるかの問題があって、礎石だと石の上に柱を置くので腐りませんが、その技術と、地面に直接柱を埋め込む掘立柱の技術は違うから、直接比べられません。東大寺大仏殿が再建されている時代に、出雲大社は古い掘立柱の技術で、巨大なものを造っています。

新谷 黒田先生の基調講演に関して、ちょっと口をはさんでもいいですか(会場・笑)、出雲大社のもとになったといわれる纏向遺跡のD棟は平入りで、妻入りの出雲大社とは違います。出雲大社は田の字9本柱が基本ですが、D棟はそうじゃありませんから、ぜんぜん別物。纏向遺跡のC棟が伊勢神宮の原型だとのことですが、伊勢神宮は聖なる建物であって、そんな二つの建物の間に位置するようなものではなく、特別なものでなければいけないのです。

黒田 私の言ってることは、古事記と日本書紀に書いてありますが、新谷先生の言っておられることは書いてないですね(会場・笑)。

錦田 神社建築の源流について、神主として思うところがあります。日本の神祭りには多様性があり、前のものが一直線に進化していくような発展段階論では語れないということです。祭りの仕方も社殿の様式も、多様性と重層性を帯びています。その発展形態は、決して一様ではありません。簡単に言うと、お祭りの仕方が多様だから、建物の姿形も多様になるんだと、一現役の神主として思います。

浅野 立派な社殿ができる前というのはあるのでしょうか。磐座(いわくら)など、そういうものを経て、神社の建築ができたのでしょうか。

錦田 奈良時代(733年編纂(さん))の出雲国風土記によれば399の「社」が出雲国内に鎮座していたことがわかります。しかし、それらの社がどんな姿形をしていたかははっきりしません。おそらく、石神、磐座、神名火山、森、井泉、建造物の高屋、御倉など。そういう多様な姿があって、それらが昇華された一つの建造物として、「宮」とよばれる恒常的かつ本格的な社殿建築、例えば、杵築の大社のような「神の宮」としての存在があったと考えられるのではないでしょうか。

新谷 折口信夫先生の話を引用すると、神様はどこに降りられるか分からないから、古い時代の人々は、(神が降臨する場所を)標山(しめやま)として定め、そこに高い木の喬木(きょうぼく)を立てた。畏れ多い神様がどこへでも降りられたら困るから、場所をあらかじめ決めておいたということでしょう。

櫻井 どこかから降りてきたり、去って行ったりという「去来」のとらえ方はありますが、もう一方で大事なのは「常住」「常在」される神様の考え方。「やしろ」の「や」は多分、建物でしょう。「しろ」は、代わりの意味ではなく、その場所という意味。ある儀式や祭りが恒常化すると、神様がそこにいるという観念が発達するということも、忘れてはなりません。

宮田 時間がきてしまいました。3回続いたシンポジウムを総括してください。

錦田 原点に立ち返って、これから進むべき道を考える、その大切な機会を伊勢と出雲の御遷宮が重なったことで私たちは与えられたのだと思います。

黒田 遷宮を機に話す機会が増え、いろいろと考えたら、自分なりに宿題がたくさんできました。これからも勉強していきます。

櫻井 神様がお遷りになるとき、日常の時間が止まり、永遠の時、神話的時間を体験すると言えます。普段ではない、そういう時を体験することが大事だと思います。千家和比古権宮司の話にあったように、遷宮の意義は出発点に立つこと。それが次の世代に伝われば、ありがたいです。

新谷 国立歴史民俗博物館で「神社とは何か」という展示を2006年に開催したとき、その前7年くらいの準備期間があったのですが、当時、神社研究に対して、色をつけて考える人が多く、文部科学省の科学研究費もとれない状態でした。しかし、日本の歴史と文化を考える上で大切だとの説明で、やっととれるように変わってきていました。いまでは、神社は多様な文化的な構造物であるということが広く理解されるようになりました。とてもよいことだと思います。

宮田 私は50歳をすぎて神職になりました。その過程で日本の伝統的な考え方を学び、素晴らしさに打たれました。皆さんもさらに関心を持っていただければと思います。