ソウルにはじめて行ったとき、焼き肉の店などに入ると、なにも頼んでいないのに、小皿に盛りつけられた総菜があれこれテーブルに並べられ、ずいぶん驚いたものだった。思わず、頼んでいないよと言いたくもなったが、韓国の友人はそれはお通しのようなもので、しかもサービスなのだという。
小皿のひとつは決まってキムチだった。オイキムチやカクテキが出ることもあった。どれもおいしく、思わずおかわりを頼んだが、オムニは嫌な顔ひとつせず、あたりまえのように持ってきてくれた。そのころ韓国は「近くて遠い国」と言われることもあったが、兄弟姉妹のような国だと感じた。
各務原市(岐阜県)に住む吉田佳弘さんがフランチャイズの店として焼き肉屋をはじめたのは、ちょうどそのころのことだった。もともと技術畑で仕事をしていたため、ノウハウを教えてもらえるフランチャイズは好都合だったという。しかし、1年たらずで親会社が撤退。このときから、吉田さんのキムチへの長い旅がはじまる。
「焼き肉のたれとキムチの研究をはじめました。必要に駆られて、です。しかし、あるとき店にきた韓国の方に、こんなのはキムチじゃないと言われ、大きな衝撃を受けました。そして、韓国でキムチの勉強をするようにと言われたのです」、と吉田さんは振り返る。
開店からすでに4年の月日が経っていた。吉田さんはさっそく韓国に足を運んだ。言葉もできず、わずか3日の滞在だったが、本場のキムチを食べて、自分のつくってきたキムチはいったいなんだったのだろうと痛感した。
それから毎月のように韓国に通っては、いつも同じオムニに会いに出かけた。オムニはキムチのつくり方を一から手ほどきしてくれた。さらに2年の月日が流れたとき、韓国人のお客さんから「ここのキムチはおいしくなった」と言われた。吉田さんは自分のつくるものが曲がりなりにもキムチとして認められるようになったと、うれしくなった。
吉田さんが店を構える各務原市で、キムチを地域の特産にしようという動きがはじまったのは2004(平成16)年のことである。きっかけとなったのは、韓国のチュンチョン市との姉妹都市提携1周年を記念しておこなった「冬のソナタ」イベントだった。韓国物産コーナーで販売したキムチが好評を博したのである。
こうしたなか、翌2005年から「各務原キムチによるまちおこし」プロジェクトがはじまる。吉田さんら20人からなる「キムチ日本一の都市研究会」が活動の中心となった。こうしたなかで「各務原キムチ」は、各務原特産のニンジンとチュンチョン市特産の松の実を材料に入れることという条件をつくった。国際交流のなかで生まれたプロジェクトらしさがそこには感じられる。
市内には「各務原キムチ」と書かれたのぼりをよく見かけ、スーパーマーケットの漬け物コーナーにも「各務原キムチ」と銘打たれた商品がいくつも並んでいる。キムチをつくったり、販売したり、あるいはお店で出したりする認定店は、発足当初42店あり、その後65店あまりまで増えたのち、50店前後でいまは落ち着きはじめている。
「キムチを各務原の特産にしようと思い立ったのは、姉妹都市であるチュンチョン市に私が2年間赴任し、本場のキムチに触れたことがきっかけでした。強引に商品づくり、ストーリーづくりをした面もありますが、うまくいったと思います。このまま地域に根ざしていけばと願っています」、と各務原市観光交流課の古田希雄さんはいう。各務原キムチの立役者の一人だ。
さっそく「各務原キムチ」と銘打つものをいくつか食べてみた。韓国の姉妹都市との関係から生まれたキムチなので、韓国風の深い味わいのキムチを想像していたが、どの商品も浅漬け感覚だ。まろやかな辛さとフレッシュな味わいこそ、各務原キムチの特徴なのである。日本人の毎日の食卓にのぼるには、それくらいのほうが一般受けするのはたしかなようだ。
エンリギやイカ、タケノコなど、あまり見かけないキムチがあったりするところが各務原キムチのおもしろさ。ニンジンと松の実が添え物のように転がっているだけのものがあったりするのもご愛敬というところだろう。
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