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【東京エンタメ堂書店】

今、よみがえる植木等 輝く時代の巨星と共に

 コメディアンの小松政夫さん(75)が、師匠と仰いだ俳優で歌手の故植木等さんについて記した『昭和と師弟愛 植木等と歩いた43年』(KADOKAWA)を出版した。小松さんは、植木さんがコミックバンド「クレージーキャッツ」で人気絶頂期にあった時に付き人兼運転手になり、その後独立した。不穏な現代社会で、底抜けに陽気な“植木像”がなぜか復活の兆しを見せる中、小松さんに話を聞いた。 (立尾良二)

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 高度経済成長期、谷啓やハナ肇(いずれも故人)らと「クレージーキャッツ」を組み、テレビのバラエティー番組「シャボン玉ホリデー」でジャズやコントを演じて人気を博し、映画「無責任男」シリーズやヒット曲「スーダラ節」などで国民的スターになった植木等は、二〇〇七年に八十歳で亡くなった。最近、植木を取り上げるテレビ番組なども目立つが、亡くなって十年の節目に本を出版するのはなぜか。

 「昭和の時代は遠くなったが、日本が本当に輝いていたのがまさに師匠の親父(おやじ)さんが活躍していたころです。今の不安定な時代、植木のパワーや芸人魂に教えられることが多いのではないか。今こそ親父さんとの関係や芸のことを形として残さねばならないと思った」と動機を語る。

 二十二歳で植木の付き人兼運転手になるまで、小松さんも波瀾(はらん)万丈だった。福岡から上京し、さまざまな仕事を転々とした後、車のセールスで「口八丁」の芸風に磨きをかける。その原点について「幼いころ神社のそばに住んでいて、二階から見下ろしていたバナナのたたき売りやヘビの薬売り、居合術の口上に夢中になった」と振り返る。

話し終えると、小松さんは往年のギャグを披露して笑わせてくれた=東京都渋谷区で

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 トップセールスマンだった日曜の夕方、ビアホールのテレビで見る「シャボン玉ホリデー」が、「唯一の娯楽で活力をもらった」という。コントの中の「およびでない? こりゃまた失礼しました!」という植木の決めぜりふに「腹を抱えて笑った」とか。付き人に転身し、人物観察力と物まねを植木にほめられた。ほぼ終日をともにする師弟関係について「生き生きとした関係、笑える話、泣ける話を著書にしたためました」。

 スターとしての植木は、いいかげんで無責任ではちゃめちゃな人物像で知られるが、その実像は「全く正反対。酒も飲まず、ばくちを嫌い、浮いた話もなく、質素で家族を大事にした。極めてまじめで、優しく、思いやりのある親父さんだった」。そのため「無責任男」を演じることに悩み続けていたという。

 実は、小松さんの初期のコントで、男っぽいのに何かのきっかけで女っぽくなり、体をくねくねさせて「もう、知らないっ、知らないっ、知らないっ」という芸がある。「九州男児として恥ずかしかった。でも(笑いの)期待に応えたい気持ちが上回った。いま思えば親父さんも私も、当たり役、はまり役のイメージに苦しんだ。でも芸とはそんなものですよ」とほほ笑む。

 著書では、現在のバラエティー番組へ風刺、苦言も呈した。「僕らがバラエティー番組と言うとき、それはバラエティーに富んだという本来の意味でした。歌、踊り、コント、それぞれ一流の芸が集まって一つのショーを創り上げる」。このため、わずか数分のコントでも練りに練り、練習を重ねて真剣勝負したという。「いすに座って口で誰かを攻撃するのは得意ではない。走り回って汗かいて芸で笑わせたい」と力説した。

 

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