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【東京エンタメ堂書店】

必読の恋愛小説「早瀬耕」

 早瀬耕(はやせこう)という作家をご存じだろうか。代表作『未必(みひつ)のマクベス』は究極の初恋小説として、ひそかな人気を誇る。今回は愛してやまないハヤカワ文庫から、今知っておきたい早瀬耕の3冊を紹介したい。(運動部長・谷野哲郎)

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 良い文章って何だろう?と考える。自分なりの答えは「読者にどれだけ強い感情を想起させられるかどうか」。そういう意味では、この本ほど、それに当てはまるものはない。早瀬が描く<1>『未必のマクベス』(1080円)は、さまざまな思いが湧き出て止まらなくなる秀作だ。

 主人公の中井優一はIT企業Jプロトコルの社員。東南アジアを中心に仕事をしているが、ある日、マカオのカジノで見知らぬ女性から「あなたは王として旅を続けなくてはならない」と告げられる。シェークスピアの戯曲「マクベス」をモチーフに、一人の男の数奇な旅が始まる。

 表題の『未必』とは「必ずしもそうなるものではない」という意味だが、物語が進むにつれ、中井はいや応なしに謀略に巻き込まれていく。それが切ない。本書は巨額の金銭が動く犯罪小説であり、謎を解明していくミステリーでもあるが、最もふさわしいジャンルは恋愛小説であろう。

 中井は高校の同級生・鍋島冬香のことが38歳になった今でも忘れられない。ただそっと思い出すだけの初恋の相手は、いつしか自身を取り巻く黒い陰謀と重なっていく。キューバリブレ、積み木カレンダー。小物の趣味も良い。「おすすめ文庫王国 2018」の恋愛小説編・第1位に選ばれたのも納得する。

 姿を消した冬香を見つけ、守ること。それが中井の旅の目的となる。「初恋の人の名前を検索してみたことがありますか?」。読後、文庫版の帯に書かれた一節に涙した。

 「でもソフィが言うように、すでに旅が始まっているのなら、そろそろ、ぼくも王にならなくてはならない」

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 早瀬の文体はどこか村上春樹を思い起こさせる。作中に漂う喪失感がそう思わせるのかもしれない。これをSF要素で彩ったのが、<2>『プラネタリウムの外側』(691円)。有機素子コンピューターを使ったAI会話プログラムをめぐる連作短編集だ。

 元恋人の死を再現させる女性を描く表題作、自分を振った女性の忘れたい過去を世界から消そうとする「忘却のワクチン」。どれも人格を持ったAI(人工知能)が鍵を握る。

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 <3>『グリフォンズ・ガーデン』(713円)は『プラネタリウムの外側』の前日譚(たん)。コンピューターの内部と現実、二つの世界が同時並行で進む不思議な話は村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を思い起こさせた。ラストは難解。

 早瀬は1967年生まれ。寡作で知られ、92年のデビュー作『グリフォンズ・ガーデン』の次が2014年の『未必のマクベス』。そして今年出版した『プラネタリウムの外側』となるが、個人的には『未必のマクベス』から読むことを勧めたい。

 「旅ってなんだろう? と考える」で始まる文章は「バーの明かりが消えて、『マクベス』の幕が下りる」で終わる。上質な舞台を特等席で見たような、壮大な旅を自分が終えたような、静かな感動が味わえる大人の一冊である。

 

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