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【書く人】

重層的な文化を掘る  『異境の文学』映像作家・批評家 金子遊さん(42)

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 近代日本の作家たちは海外の情景や人々にどう接し、向き合ったのか。留学や長旅という<異郷>の体験は、作品にどう結実したのか。日本では揺らぐことのない「自己」が「他者」の文化や言語に触れて、どんな表情を見せたのか。

 第一部はフランスに留学した永井荷風と遠藤周作、日本の委任統治時代のパラオに住んだ中島敦、アメリカ体験で戦後の日本の姿を見直した評論家の江藤淳。

 「従来の文芸評論は戦争や戦後という歴史の中で、彼らの異郷体験を捉えてきた。もちろんそれも十分に意味がある視点ですが、ぼくは実際に現地を旅して、文学的な想像力や民族誌(エスノグラフィー)で体験をつなげると、どんな風景が見えるかに関心があった」

 見えてきたものは、異郷の文化が想像力の源泉になる作家たちの姿や、日本語や日本文化がハイブリッド化する様子だった。

 第二部は三人の私小説作家と彼らが生きた場所(トポス)を論じる。山川方夫の小説の舞台の湘南の海、川崎長太郎の小田原海岸、大井川・天竜川流域で暮らした藤枝静男。水のイメージが連結する。小さな共同体のなかにも、川崎長太郎が通った抹香町の私娼街のような<異境>と呼ばれる空気の異なる空間があり、彼らの物語の源流になった。

 文学以外の人類学や民俗学や映像の要素を盛り込んで、文芸批評の枠組みを広げる取り組みといえるだろうか。「日本文学や日本語は近代のどこかで痩せてしまった。さまざまな土地をフィールドワークし、本来は重層的だった人々の文化や言葉を掘り起こしたい。その掘削に強さを与えるのが今後の課題です」

 二十代のころから日本列島の周辺を旅してまわり、映像を撮り続けた。沖縄や奄美、旧樺太、台湾、小笠原諸島、さらに南洋のミクロネシアやポリネシア…。それらは二十世紀の帝国日本の植民地の版図と重なる。かの地を訪れたさまざまな日本人や外国人らの民族誌を探った著書『辺境のフォークロア』もある。

 「支配・被支配の構図で捉えるよりも、むしろ支配者の文化や言語を消化し、自分たちの伝統と混合した<クレオール文化>の開花を見たい。いまも辺境の土地にはそういう情景が残っていて、そこから近代国家のシステムや資本主義を相対化できないかと思う」

 アーツアンドクラフツ・二三七六円。

 (大日方公男)

 

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