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【書く人】

いつも時代の半歩先を 『私が死んでもレシピは残る 小林カツ代伝』ノンフィクション作家・中原一歩(いっぽ)さん(39)

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 西暦に紀元前、紀元後という区分があるように、家庭料理の世界では「小林カツ代前」「カツ代後」と言われることがある。

 二〇一四年に七十六歳で亡くなった家庭料理研究家小林カツ代さんの存在は、それほど大きかった。残したレシピは一万以上。どの家庭にもある食材で、手間をかけずにおいしい料理を作る。女性が社会進出する時代の新たな家庭料理像を提示した。本書は彼女の生涯を描く初めての評伝だ。

 「表紙の写真は、仕事が終わってエプロンを脱ぎ、ちょっと一息ついたカツ代さんの姿です。料理研究家というよりは、葛藤を抱えた一人の女性として彼女を描きたいと思いました」

 中原さんもカツ代ファンの母を持ち、カツ代さんの味で育った一人。船で世界一周するピースボートのスタッフをしていた一九九八年、船上で千人分の黒豆を炊いてもらおうとカツ代さんに依頼したのを機に、意気投合した。「『こんな料理のアイデアが浮かんだけれどどう?』とよく深夜に携帯メールが来ました」。親交はカツ代さんが倒れるまで続いた。

 結婚した時はみそ汁もろくに作れなかったカツ代さんが、どのように「家庭料理のカリスマ」になったのか。彼女が生まれ育った大阪の土地などを訪ね歩き、その生涯をたどった。晩年に別居した夫との関係など、これまであまり明らかにされてこなかった素顔に迫った。

 「新しいアイデアを生む大阪のパイオニア精神が彼女に流れていることがよく分かりました。こんなに失敗を恐れない人はいなかった。常に時代の半歩先を行っていた。今でこそ『女性が働きやすい社会に』と言われますが、彼女が幼い子供たちを育てながら料理研究家として働いていた頃は、大変だったと思います。最後まで『私』を貫き通した人だったと思います」

 書名にしたのは、彼女が生前、願望を込めて語っていた言葉だ。「彼女のレシピは、有形無形の形でそれぞれの家の味として残っています。それだけの普遍性がありました。自分が歳(とし)を重ねてからは、高齢者がつくりやすく、食べやすいメニューを考えていました。『黄金のレシピ』として完成された肉じゃがでさえ、改良しようとしていた。まだまだやりたいことはたくさんあったと思います」

 文芸春秋・一六二〇円。

 (石井敬)

 

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