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【書く人】

武田百合子著『あの頃』を編集  写真家・武田花さん(65)

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 著者の武田百合子(一九二五〜九三年)は、戦後作家の武田泰淳の妻で、泰淳と共に過ごした富士山麓での日々を記録した『富士日記』などの文業を残した。歴史や人間への深く重い思索を重ねた泰淳の傍らに天真爛漫(てんしんらんまん)な言動や気性で寄り添い、それでいて自然体の文章はユニークな表現や鋭い洞察力にあふれ、今も世代を超えて多くの女性たちに読まれ続けている。

 本書は、没後二十四年を閲して、単行本未収録の生前のすべてのエッセーを収録する。編者を娘の武田花さんが務めている。

 「母の死後、多くの出版社からエッセー集の打診がきた。でも母はどんな文章も熱心に推敲(すいこう)した人で、母の手が入らないまま本にすると怒られると思った。未発表の文章や日記は燃やしてほしいと言った母ですから、<遺言だからダメ>と長い間書籍化を断り続けてきた。でも私も年をとり、せめて自分の責任で本にしようと心境が変わった」

 身辺雑記、交友録、回想記、映画の鑑賞記などが主な内容で、五百ページを超える。拾遺集だが、どのエッセーにも類いまれな文章家の個性や特徴がよく出ている。

 百合子の書くものは日記や旅行記などほとんどが記録の文章だ。生活者や主婦という立ち位置を貫き、映画評も映画通ではなく一観客の視線。だが、そのおおらかで率直な文章が発散するのは野生動物のような躍動感、世事万端を楽しむ好奇心、女性の生き方や今いる場所を肯定しながら、抑圧を内側から破るものおじしない力に満ちている。

 「母のエッセーを何度も校正で読み、その肉体や体温が立ち上がってきて、泣きたいほどだった。と同時に、今まで母の一面しか見ていなかったなと思った。母を表すたくさんの言葉を聞くけど、無垢(むく)や虚無感、ミーハー精神や繊細さ、優しさや激しさが同居する多面体の人だと、あらためて感じた」。泰淳の小説に重層的に描かれた戦争・戦後という時間を生きた、一人の女性の記録集でもある。

 「書く物以上に実物が面白い。出来事や人物を当意即妙に捉えて、<おかあちゃんうまいこと言うね>と話を聞くのが楽しみだった」

 その遺伝子は形を変えて花さんにも受け継がれ、旅先で見かけた猫や風景の記録を収めた数々のフォトエッセー集からはあてどない日々の風情が味わえる。

 中央公論新社・三○二四円。 (大日方公男)

 

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