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【書く人】

拳に込めたアリの思い『ファイト』 作家・佐藤賢一さん(49)

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 一読して驚いた人も多いのではないか。『小説フランス革命』など、西洋を舞台にした歴史小説の書き手として知られる著者が、最新作では伝説的ボクサーのモハメド・アリを題材に選んだ。それもキャリアを代表する四試合をアリの一人称で再現した、真っ向勝負の拳闘小説だ。

 大のボクシング好きで、自身も若いころジムに通った。当時から「世界一のボクサー」として敬意を抱いていたという。「アリは時代を先取りしたトップランナー。生涯闘い続けた差別や戦争などの問題は現代も残る。米国の一つの時代を代表する個性として、ずっと書きたいと思っていた」

 一九六〇年代、アリはイスラム教徒として黒人差別にあらがい、ベトナム戦争への徴兵を拒否して王座を剥奪されるなど、社会問題にもなった。構想当初は、その影響を中心に描く「歴史物」になる予定だった。しかし、アリの試合を見返すうち、「やはり一番すごいのは彼のファイト。それを文字で表現しよう」と思い直した。

 「俺は誰よりも偉大だ」と叫んだソニー・リストン戦。死闘の末に敗れたジョー・フレージャー戦。「キンシャサの奇跡」と呼ばれるジョージ・フォアマン戦。最後のタイトル戦となったラリー・ホームズ戦。それぞれの闘いの描写から、アリの生き方が浮かび上がる。口の悪い王者として有名だが、試合中に浴びせる暴言の数々も生々しい。「決して神格化せず、その時その時の彼の心情に寄り添いたかった。だから作られた自伝より、対戦相手がインタビューで暴露した裏話の方が参考になった」

 くしくも雑誌連載中の昨年六月、アリの訃報が届いた。その半年後、人種や宗教の差別を助長するようなトランプ政権が誕生したことに、何か符合めいたものも感じる。「アリはその存在自体が反差別、反戦の象徴だった。いなくなった途端、時代まで振り出しに戻ってしまったような感じがして、皮肉でならない」

 シンプルなタイトルには「ただのボクシングの試合を超えた、エモーショナルでドラマのある闘い」との意を込めた。「まずは純粋に、アリのファイトに興奮してほしい。その後で、なぜ彼がこういう生き方をしなければならなかったか、その状況は決して過去のものではないという部分も見つめてほしい」

 中央公論新社・一八三六円。 (樋口薫)

 

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