東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > Chunichi/Tokyo Bookweb > 書く人 > 記事一覧 > 記事

ここから本文

【書く人】

句から小説、小説から句 『虚子散文の世界へ』 俳人・本井英さん(72)

写真

 正岡子規の俳句革新を継承し、明治・大正・昭和の三代にわたって数々の名句を詠んだ高浜虚子(一八七四〜一九五九年)。一方で彼は小説や写生文など一千編を超える散文を残しているのだが、句に比べてこちらは印象が薄い。本書は「俳壇の重鎮になりすぎたために、かえって注目されないという不幸を背負ってしまった」虚子の散文に光を当てた労作である。

 子規は絵画から学んだ写生の方法で俳句と短歌に新風を開き、散文にも適用しようと写生文を提唱。それを受けて虚子は、自分が経営する雑誌「ホトトギス」を中心に意欲的に執筆。さらに写生文で鍛えた描写力を小説に生かそうとして、「俳諧師」(同41)「柿二つ」(大4)などの作品を次々に発表し、小説家としても高い評価を得た。戦後も「虹」や「椿子(つばきこ)物語」などの秀作を書いた。

 その中で、本井さんは俳句と小説の関わりに着目する。例えば、明治四十四年作の小説「朝鮮」で夏目漱石が絶賛した<仮の夫婦>。朝鮮で出会った芸者の「お筆」が、三十分だけでも普通の夫婦の気持ちを味わいたいと「余」を誘うのだが、虚子は五年前に席題で<君と我うそにほればや秋の暮>と詠んでいた。逆に、前に書いた小説の世界から生まれた句もあり、俳句と小説が綯(な)い交ぜになって豊饒(ほうじょう)な世界が形成されているのだ。

 「虚子はまず季題を据えて、自分がこれまでに見てきた風景や体験したこと、あるいは本で読んだり、お能で観(み)た場面を経巡りながら、言葉を紡いでゆく。その句の作り方は小説とよく似ているのです」

 本井さんは高校時代に虚子門の清崎敏郎に師事、その後、虚子の次女・星野立子と五女・高木晴子の教えを受けた。平成十九年に俳誌「夏潮」を創刊、主宰。虚子の最大の魅力について尋ねると、晩年の句<明易(あけやす)や花鳥諷詠南無阿弥陀(かちょうふうえいなむあみだ)>を引いて、こう話した。

 「虚子は花鳥諷詠というスローガンを掲げたが、それを言い始めた昭和初期と戦後の三十年代では深さが全く違う。戦争を経験し、日本と西洋についての認識が深まったことで、法然や親鸞によって確立された絶対他力の世界に到達したのです。<初蝶(はつちょう)来何色と問ふ黄と答ふ>という句で言えば、向こうから来るのが絶対他力。これは草木国土悉皆成仏(しっかいじょうぶつ)の思想ともつながっている。この考え方を戦争の絶えない国々に向かって発信したいですね」

 ウエップ・二八〇八円。

   (後藤喜一)

 

この記事を印刷する

PR情報