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【書く人】

平和に住まう幸せ 『くらしの昭和史』 昭和のくらし博物館館長・小泉和子さん(83)

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 東京・大田区の住宅街にひっそりと建つ簡素な木造二階建ての自宅を「昭和のくらし博物館」として開館して十八年。建物はテレビドラマの撮影にも使われ、館長の小泉さんも昭和の暮らし方の伝承者として数多くの著書を出してきた。本業は工学博士の肩書を持つ日本の家具・道具の歴史の研究者だが「こちらの分野の本はなかなか出してもらえなくて…」と笑う。

 本書は「くらしから見た昭和史」と「住まいから見た昭和史」の二部構成。第一部は、昭和二十六(一九五一)年に住宅金融公庫の融資を受けて建てた家を、個人が博物館として運営してきた活動報告になっている。これまでの企画展の内容を、病気、食べる、着るなどの柱で紹介。「昭和は家庭看護が最もレベルの高かった時代」という指摘や、米国の小麦戦略の下「米を食べると馬鹿(ばか)になる」というなりふり構わぬ宣伝でパン食の優位性が説かれたことなど、今となっては驚くべき歴史の事実が並ぶ。

 小泉さんは昭和八(一九三三)年に東京・小石川で生まれ、博物館になった家にたどり着くまで、十八年で五回の引っ越しを経験した。その住まいの変遷を検証したのが第二部だ。「書いているうちに私の個人史の色合いが濃くなりました。自分のことを書いたのは初めてです」。頻繁な転居の原因は、戦争である。

 空襲による延焼を未然に防ぐための建物強制疎開で小石川の家は引き倒され、横浜にある親戚の借家へ。学校からの集団疎開は東京と横浜で二度経験したが、家に帰されて間もなく、横浜大空襲に遭う。妹を背に、もう一人の妹の手を引いて火の海を逃げ惑い、米軍の艦載機による機銃掃射の標的にもなった。阿鼻叫喚(あびきょうかん)の灼熱(しゃくねつ)地獄の中を、どう逃げたのかは分からない。家はすっかり焼け落ちて、次に移った先は遠縁が昔、牛小屋として使っていた廃屋だった。「戦争はいとも簡単に暮らしを破壊します」。生活のさまざまな視点から平和について考える博物館の原点がここにあった。

 本編を書き終えて「昭和三十年代から四十年代にかけてが歴史上一番幸せな時代だった」と思うに至った。生活はまだ苦しかったが、日本は二度と戦争はしないと多くの人が信じていた。朝日新聞出版・一八三六円。 (矢島智子)

 

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