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【書く人】

「至誠」を貫いた実像 『吉田松陰の時代』明治大教授・須田努さん(58)

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 幕末に長州藩で「松下村塾」を開き、高杉晋作、伊藤博文ら明治維新の人材を育てた吉田松陰。「理想の教育者」「偉大な思想家」とたたえられる一方で、「テロリスト」の烙印(らくいん)を押されるなどイメージや印象で語られることが多かった。こうした「わかりやすい松陰像」を壊し、史料を基に実像に迫る一冊だ。

 須田さんの専門は民衆史。江戸時代人の朝鮮観を調べる中で、松陰が唱えた「朝鮮侵攻論」に興味を持ったのが、松陰研究に入るきっかけだった。兵学者という急速に時代遅れとなる家業を継いだ松陰が、黒船来航以降の時勢の変転の中でどう生きたのか。調査と執筆に八年をかけた。

 「松陰は後世の人に利用され、イメージをつくられてきた」と話す。例えば「教育者」としての松陰。「彼は塾生の能力を引き出したが、目的は政治的で、近代的な教育のイメージとは違う」。老中暗殺計画の実行部隊として、死をおそれない少年たちを意図的に選ぼうとしたことを示す彼の書簡などを提示した。

 須田さんの調べでは、松陰を扱う本は、アジア太平洋戦争期と二〇一〇年以降に飛び抜けて多い。社会が右傾化すると増える傾向にある。「国を思う彼の純粋な心を肥大化させ、右寄りに語られるのが典型例です。しかし、『朝鮮侵攻論』も、当時の人が共有していた朝鮮観と、長州の地理的条件が背景にあった。時代状況を抜きに発言だけ取り出して利用することは、非常に危ないことです」

 虚像をはいで向き合った松陰は「ものすごく魅力的な人物」だった。「時勢を見抜く目があり、時代の中に自らを位置付け、自分を変えていくことができた」。私心がなく、楽天主義と「至誠」を貫いた生き方に学ぶことは大きいという。

 来年は明治維新から百五十年。「明治の精神に学び、日本の強みを再認識する」とする政府の顕彰事業に疑問を投げかける。「明治に国民国家を形成できたことは事実だが、同時に帝国の道を歩んでアジア侵略につながったことに政府は触れていない」。明治政府のスローガン「富国強兵」について研究を進めている。「『富国』は民の富を奪うことにつながり、東アジア儒教文化圏では異質な概念だった。なぜこれが当たり前になったのか、考えることは重要だと思います」

 岩波現代全書・二二六八円。 (石井敬)

 

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