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【書く人】

人との出会いを糧に『若槻菊枝 女の一生 新潟、新宿ノアノアから水俣へ』 フリーライター・奥田みのりさん(47)

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 東京・新宿でバー「ノアノア」を経営しながら、水俣病患者を支援し続けた女性がいた。その人、若槻菊枝さんを五年かけて取材し、評伝を書いた。

 「豊かな中で生まれ育った人が、お金に余裕があるからした支援ではなくて、どちらかというとマイナスの環境で生まれ育った人が、がむしゃらに生きてきて人に手を差し伸べられることがすごいし、いろんな人がまねできると思う。こういう人が生きたという証しを残したかった」

 米国の大学を卒業し、帰国後、専門紙記者などをへてフリーライターに。二〇〇六年から水俣病を取材するようになり、その縁で菊枝さんを知った。

 菊枝さんは新潟生まれ。十七歳で上京し、一九五〇年に「ノアノア」を開店。作家の石牟礼道子さんの『苦海浄土』を読んで七一年に熊本県水俣市を訪ね、水俣病患者らと交流。店に「苦海浄土基金」と書いた木箱を置いて、お客さんのカンパや自らの寄金を送るなどの支援を続けた。石牟礼さんとも、自宅の部屋を東京の書斎として提供するなど親交があり、二〇一〇年に九十四歳で亡くなった。石牟礼さんは今回の本の帯に「豪快で色っぽい人だった」と言葉を寄せている。

 「普通の人間が生まれて死ぬまでの間にいろんなことがあり、水俣病と出会って、こういう生き方を選択した。水俣を伝えつつ、彼女の一生を軸にするところに、すごく悩みました」

 菊枝さんの父は、農民運動の闘士だった。奥田さんは新潟にも行き、菊枝さんの父が率いた小作争議や、かつての結婚相手のこともたどった。「菊枝さんはいい人と出会い、いい人と人生を過ごしてこられた。それが、人に与えるものの糧になっているんじゃないかなと思います」。新潟の高齢の読者からは「生き方を問い直した」と感想が届き、「人生の大先輩の世代からそう言ってもらえて、本を書くことによる確かなつながりを痛感しました」。

 米国にいた時、マイノリティー(少数派)の弱い立場を実感するとともに、公民権運動を忘れずにいる人たちと交流し、社会問題への意識が広がったという。「人知れず活動し、でもこの人がいなかったら成し遂げられなかった、ということが世の中にいっぱいあると思う。そういう人を文字にして残していきたい」

 熊本日日新聞社・一六二〇円。 (岩岡千景)

 

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