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【書く人】

人生の折々ありありと 『運命の歌のジグソーパズル』 シンガー・ソングライター・加藤登紀子さん(74)

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 「知床旅情」「百万本のバラ」「リリー・マルレーン」…。時代や国を超える歌に命を吹き込んできた加藤登紀子さんは、言わずと知れた日本のシンガー・ソングライターの草分け。これまで二十七もの著作を出した物書きでもある。二十八作目は、人生の折々に刻まれた歌を軸に語る自伝−と思って読み始めたが、日ソ開戦、プラハの春、ラトビアの独立、七〇年安保、ベトナム戦争、フィリピンのエドゥサ革命…。こんな言葉が次々飛び出す文章から、これは一人の人間を通した国境なき現代史だと気づいた。巻末に、年表と略歴付きの人名索引がある必然にうなずく。

 太平洋戦争で日本の敗色が濃くなった一九四三年末に、満州(現中国東北部)の国際都市ハルビンで生まれ、二歳で日本に引き揚げてきた。高校生のとき「私はユーラシア大陸に生まれたんだ!」と国を超えてつながる命を自覚した瞬間から話は始まる。「歌は聴く人が未経験のことでも入ってこられるようにフラット(平ら)な状態で作るのが鉄則。文章も同じですね」

 満州から母子四人で命からがら引き揚げてきたときの記憶はないが「母が繰り返し話してくれて、映像が浮かぶほど“ありあり感”があるんです」。取り上げた出来事は個人的な感想で終わらないよう、今だから分かる状況説明も加えた。一九四五年二月のヤルタ会談で、ドイツの降伏から三カ月以内にソ連が参戦するという密約があったこと。終戦後、連合国軍最高司令官のマッカーサーに日本人の引き揚げを直訴した人がいたこと…。

 プラハ、パリ、東京。世界各地で社会の変革を求める人々が行動を起こした一九六八年は、東大生だった加藤さんが夫となる学生運動指導者の藤本敏夫さん(故人)と知り合い、歌手として本格的なスタートを切った年でもあった。それから五十年。

 <歴史はまるで匍匐(ほふく)前進のように、進んでは戻り、築いては壊し、輝いたものを闇に突き落とし、一向に目的地に到達できないもののようだ>。こんな一文が胸に刺さる。だが加藤さんは言う。「長い歴史観では、この世の終わりのように思えるときこそ、何かが始まるとき。困難をはね返す力は人の心から絶対に失われないことを、歌を歌ったり物を書いたりする人間は信じて描き続けることです」。朝日新聞出版・一六二〇円。 (矢島智子)

 

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