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【書く人】

アイヌへの深い思い 『がいなもん 松浦武四郎一代』 作家・河治和香さん

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 激動の幕末、蝦夷地(えぞち)を探査して詳細な地図を作り、北海道の名付け親にもなった松浦武四郎(一八一八〜八八年)。本書は、晩年の武四郎が大作を依頼していた絵師の河鍋暁斎(かわなべきょうさい)の家を頻繁に訪れ、暁斎の娘・豊(とよ)を相手に昔語りをする形で展開する伝記小説である。

 現在の三重県松阪市の地士(じし)(郷士)の家に生まれた武四郎は、十六歳のときに出奔したのを皮切りに、旅また旅の日々。そのなかで北から迫るロシアの脅威を知り、六回にわたって蝦夷地探検を断行する。

 表題の「がいなもん」とは、出身地の言葉で、途方もない、とんでもない、という意味だが、確かにすごい人物なのだ。特に感心するのは蝦夷地の先住民族アイヌへの思いの深さ。武四郎は、自然や人びとに寄り添って生きるアイヌの姿にゆかしさを感じる一方、業者と結託した松前藩の圧政に憤る。男は強制労働に駆り出され、女は和人の妾(めかけ)にされるというありさまで、人口は激減。彼は「蝦夷地の開拓も大事だが、アイヌの救済こそ最優先の課題である」と幕府に繰り返し文書で訴えている。

 「注目したいのは蝦夷地を探検する前の十数年で、彼は日本全国を歩いている。その放浪中に病気になったとき山の民に助けられ、差別されていた山の民が実は非常に知恵のある人たちであることを知ったのです。だから、アイヌの人たちと会ったときも、他の和人のように見下したりしないで、対等に付き合うことができたのでしょう」

 武四郎は新政府に呼ばれて役人になり、一八六九(明治二)年には蝦夷地に代わる名称の選定に関わる。道内の支庁名や郡名の名付け親にもなっている。その彼が明治になってから一度も北海道に足を踏み入れていないのはなぜだろうか。「彼はアイヌの人たちのことを心から心配していたけれど、明治になってもアイヌへの差別は変わらない。結局は、自分は何もできなかったのだという忸怩(じくじ)たる思い、挫折感があったのだと思いますね」

 河治さんは江戸の絵師や風俗に詳しく、シリーズ「国芳一門浮世絵草紙」(全五巻)などの作品がある。五年前に小説にした浅草駒形の老舗のどぜう屋が、松阪にルーツを持つ味噌(みそ)屋と古くから取引をしていた。その味噌屋の当主から松阪の射和祇園祭(いざわぎおんまつり)に誘われたことが、ことし生誕二百年の武四郎と出会うきっかけになったという。

 小学館・一八三六円。 (後藤喜一)

 

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