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【書く人】

他人の人生通じ、自分知る 『ある男』 作家・平野啓一郎さん(43)

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 人生が二度あれば。昔の歌ではないが、もし他人の人生を生き直せるとしたら、あなたはそれを望むだろうか。大学在学中に芥川賞受賞作『日蝕(にっしょく)』でデビューし、今年で二十周年となる平野さんも人生折り返しの四十歳を過ぎ、ふとそう考えるようになったという。「普通なら、今の人生を捨ててまで生き直そうとは思わない。でも、過去や境遇がずっと足かせになって生きている人なら、切実に別の人生を歩みたいと思うんじゃないか」

 主人公の弁護士、城戸は元依頼人の女性から奇妙な相談を受ける。約四年一緒に暮らし、事故で急死した再婚相手の男が、別人になりすまして生きていたと分かった。生前語った経歴、名前すらもうそだった−。

 男はなぜ他人として生き、愛する女性にもその秘密を明かさなかったのか。城戸の調査で、男の悲劇的な半生とともに「愛にとって、過去とは何か」というテーマが浮かび上がる。

 「僕は愛している相手だからといって、自分のすべてをさらけ出すことに懐疑的なんです。過去というのは繊細だし、打ち明けないのは不誠実だと言ってしまっていいのか。そんなことを考えながら書きました」

 妻との不和を抱える城戸は、現実逃避をするように男の素性を調べる中で、ある種の共感を覚え、自らの人生を見つめ直していく。<他人の人生を通じて、間接的になら、自分の人生に触れられるんだ>との独白が印象的。「自力では解決できない問題を抱えているとき、他人の物語を一度経由するだけで、すごく慰められたり勇気づけられたりする。僕はそれが小説の効力だとも思うんです」

 二十万部のベストセラーとなった前作『マチネの終わりに』もそうだったが、作中には多数の社会的な論点がちりばめられている。ヘイトスピーチ、戸籍制度、死刑制度、夫婦別姓…。「一つの主題があらゆる問題と関わっていて、排除できないんです。時代と並走しなければいけないということは、すごく意識している」と執筆姿勢を明かす。

 では、もし平野さんの人生が二度あれば? さらなる傑作が生まれていた? 「もっといい小説が書けたとも思わないし、実力以上のものが書けたとも思わない。相応の作品を書いてきたという気がします」。その答えに、現代文学を代表する作家としての自負が垣間見えた。文芸春秋・一七二八円。 (樋口薫)

 

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