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【書評】

疾れ、新蔵 志水辰夫 著

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◆力強い「冒険」への回帰

[評者]池上冬樹=文芸評論家

 純文学には“作家は第一作に向かって成熟する”という言葉があるが、エンターテインメントの本書でそれを思い出した。志水辰夫は二〇〇七年に『青に候』で現代小説から時代小説に転向したが、本書には『飢えて狼』『背いて故郷』などの初期の冒険小説への回帰がある。

 御用金を運搬してきた森番の新蔵は、中屋敷での異変に乗じて、屋敷に忍びこみ、十歳の志保姫を連れ出す。姫は故郷の越後の大地主の孫娘で、母親の許(もと)へ送り届けるつもりだった。だが、江戸藩邸からの追手が組織され、新蔵一行たちは過酷な逃避行を余儀なくされる。

 新蔵は姫とともに川にとびこみ、獣道に分け入り、山を越える。臨場感豊かに描かれていた初期の冒険行が再現されているし、二人を助ける駕籠(かご)かき(政吉と銀治)のコメディリリーフは初期の喜劇作家(『あっちが上海』)の顔を想起させる。また、途中から逃避行に加わる莫連のおふさ、追跡側の凶暴な兄弟など脇役も賑々(にぎにぎ)しく、物語は一段と波瀾(はらん)含みになる。しかも同時並行的に描かれる越後の村での群像劇も意外な展開で、新蔵の行動と出自にも絡んできて興趣に富む。

 最後には男と女の思いを切々と謳(うた)いあげるシミタツ節も、ここにはある。ダイナミックで、エモーショナルで、力強い冒険小説としての魅力(まさに初期作品に横溢(おういつ)していた美点)が揃(そろ)う秀作だ。

 (徳間書店・1836円)

 <しみず・たつお> 1936年生まれ。作家。著書『きのうの空』『ラストラン』など。

◆もう1冊

 志水辰夫著『夜去り川』(文春文庫)。黒船来航の年、武士の身分を隠して渡し舟の船頭となった男を描く時代長篇。

 

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