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【書評】

日本ノンフィクション史 武田徹 著

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◆ネット時代に<事実>の重さ

[評者]吉田司=ノンフィクション作家

 ノンフィクションは長期停滞の冬の時代が続いているが、その原因は出版不況でライターたちが活躍する場を失ったからだけではない。ネット時代のスピーディーな情報・技術移転や文明文化のフラット化に、足で歩いて取材し、現実(事実)をありのままに描くアナログ時代のリアリズム・ノンフィクションの手法では対抗できなくなったのだ。人々はギラギラした<生(なま)の事実>よりも、デジタル動画再生など誰もが送受信できる安価でバーチャルな<疑似体験>の方に惹(ひ)かれている。そうした転換期だからこそ、本書のような歴史案内・解説書が必要なのだ。

 そもそも日本ノンフィクションの源流は日中戦争の従軍報告文学の中にあり、小説家が「国策協力」して書いた文章も多かった。戦後はその反動で民衆闘争のルポルタージュなどマルクス主義色の濃い記録文学が世に溢(あふ)れた。だから国家権力や左翼イデオロギーの重圧から解放され、ライターたちが自由に作品を書いて発表できるようになったのは、<客観的中立報道>を錦の御旗にした新聞・テレビ・雑誌の商業ジャーナリズムが成熟した高度成長期以後のことだ、と著者は述べている。ノンフィクションの歴史は「若い」。「せいぜい一九七〇年代にまでしか遡(さかのぼ)れない概念である」と。

 一九七〇年とは、文芸春秋の大宅壮一ノンフィクション賞が創設された年だ。そして、七九年に大宅賞を受賞した沢木耕太郎『テロルの決算』をもって「ノンフィクションは自立し」たとの歴史的評価を与えている。

 著者はこの本に七年の歳月をかけたという。大労作だ。ただ、鎌田慧『自動車絶望工場』や「三里塚」「水俣」のドキュメンタリー映画運動など、新聞・テレビが事件現場の現実を一方的に過剰報道する傾向が強かった時代に起きた<現場主義>の抵抗の系譜に関する記述が抜け落ちるなど、物寂(ものさび)しい思いを禁じ得ないところもあった。

(中公新書・950円)

<たけだ・とおる> 1958年生まれ。ジャーナリスト。著書『暴力的風景論』など。

◆もう1冊

 大下英治著『トップ屋魂−週刊誌スクープはこうして生まれる!』(ベストセラーズ)。三越・岡田社長解任劇などの取材を振り返る。

 

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