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【書評】

一遍 捨聖(すてひじり)の思想 桜井哲夫 著  

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◆従軍し形見を届けた時衆

[評者]釈徹宗=宗教学者・僧侶

 日本浄土教の全体的な方向性を知るのに、格好のテキストだと思う。専門的情報や最新の学説などを織り込みながらの概説となっている。力作である。広範囲にわたる論考なので、新書向きの内容であるとも言える。

 本書は、阿弥陀仏信仰の源流を論じるところから始まり、日本浄土教の流れを俯瞰(ふかん)したうえで、一遍と時衆(一遍につきしたがう人々)について詳述している。さらに、第四章では一遍の語録をテキストとして、一遍思想が平易に解説される。また、時に時宗僧侶としての著者自身の現場の話がはさみこまれており、そこが本書の魅力になっている。

 興味深い記述は数多いのだが、個人的に惹(ひ)かれたのは“死者や葬送儀礼と時衆”に関することがらである。鎌倉末期から南北朝期、時衆僧は合戦に従軍した。そして戦死者へ十念を与え、弔ったのである。さらに、合戦後は形見の品を遺族へと届けたり、最後の模様を語ったりする活動を行っていたというのである。

 これが、時衆のいわゆる「陣僧」であるが、「場合によっては、河原者(かわらもの)が行う仕事で卑賎視(ひせんし)されていた死者の遺体処理までも担当する時衆の『陣僧』の仕事は、他の宗派には見られない独自の行動であった」と言う。

 このような陣僧の伝統もあって、時衆は葬送に深く関わっていた。鳥辺野(とりべの)で火葬場も運営していたらしい。時衆と葬送活動についての研究は近年注目を集めているが、今後さらに解明が進んでいくことであろう。

 今回、あらためて一遍の言葉にふれ、自分自身、若い頃とはずいぶん異なる印象をもつことに気づいた。これまであまり気にならなかった「凡夫のこゝろには決定なし。決定は名号なり。是故に往生は心によらず、名号によりて往生するなり」「称名の外に見仏(けんぶつ)を求(もとむ)べからず。名号すなはち真実の見仏なり」といった言葉が、とても味わい深く感じられたのであった。

(平凡社新書 ・ 929円) 

<さくらい・てつお>1949年生まれ。東京経済大教授。著書『戦争の世紀』など。

◆もう1冊 

 『一遍上人語録』(大橋俊雄校注・岩波文庫)。一遍の手紙や、その生涯を記録した『聖絵』をもとに一七六三年に刊行された語録。

 

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