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【書評】

回遊人 吉村萬壱 著

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◆やり直せる生の意味

[評者]伊藤氏貴=文芸評論家

 会社勤めを辞め、専業になった中年の純文学小説家が、しかし妻と息子をなおざりにしながらもスランプに苦しむ。まるで往年の破滅型私小説のようなはじまりだが、さらに読み進めると、なんと拾った錠剤を飲むことで過去にタイムリープするというSF要素も加わる。

 戻ったのはデビューもまだせず妻とも結婚していない十年前。そこから人生をやり直す。将来を熟知しているわけだから、選択を間違えようはずはない。成功は約束されている。しかし、結局よかったのは少しの間だけで、十年後にはまた別の苦難が待ち構えている。同じ錠剤に頼り、もう一度十年前からやり直す…。

 タイムリープの繰り返しの中で、はたして主人公は学習し、少しずつよりよい人生へと向かうだろうか。むしろ、やり直しがきくと思えば、何度でもやり直さずには気が済まなくなってしまうのではないだろうか。マグロなどの回遊魚が動きを止めれば死んでしまうように。

 どんなに辛(つら)い人生でもそれを肯定するニーチェの運命愛とは対極の発想だが、しかし、「あの時ああしておけば」と思わずに済むような超人はそうそういないだろう。「ああしておけば、こうしておけば」という頭の中の回遊をいっとき休み、超人ならざるわれわれの人生を外から見つめ直すきっかけを与えてくれる一冊になるだろう。

(徳間書店・1836円)

<よしむら・まんいち> 1961年生まれ。小説家。著書『虚ろまんてぃっく』など。

◆もう1冊

 吉村萬壱著『ボラード病』(文春文庫)。復興の町の人々が全体主義に支配されていく姿を描くディストピア小説。

 

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