東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > Chunichi/Tokyo Bookweb > 書評 > 記事一覧 > 記事

ここから本文

【書評】

死民と日常 私の水俣病闘争 渡辺京二 著 

写真

◆伝統に根ざす仇討ち論理

[評者]吉田司=ノンフィクション作家

 国民は選挙制度を通じて意思表示するしか道がないのか。今回の抜き打ち解散総選挙での自民党圧勝を前にして改めて深く考えさせられる。少なくとも一九六〇年代後半〜七〇年代前半の日本人は、しばしばそれとは違う道を選んだ。生活大衆が国家権力や大企業に直接対峙(たいじ)し、反対や抗議の声をつきつける<実力闘争>を展開したのだ。

 例えば「農地死守」を掲げ、成田空港建設に反対した三里塚闘争。次には「怨」の黒旗を立て、胸に「死民」のゼッケンをつけた熊本水俣病を告発する会の葬列デモ。チッソ東京本社に攻め上り、中枢部占拠・座り込み闘争へと先鋭化していった。

 本書は、当時「水俣死民の闘争」の思想的リーダーだった渡辺京二が書いてきた文章を一冊にまとめた貴重な論集だ。その核心は、次の主張にある。

 水俣病闘争は親きょうだいを有機水銀地獄で殺された「そのつぐないをカタキであるチッソ資本から受け取らねば、この世は闇」という前近代的な“仇討(あだうち)ち”闘争の論理で動いている。被害民の日常がチッソ城下町下層の漁民共同体の古い村の掟(おきて)や伝統に従って営まれてきたからで、都市型の反公害市民運動とは一線を画している。しかしその時代錯誤(アナクロ)な前近代性は逆に、金銭(低額補償)で公害解決をめざす近代資本制のルールには容易に取り込まれない抵抗力=戦闘性に変わり、「国家権力とチッソ資本に対する水俣下層民の自立した政治闘争」に発展する。

 あれから四十数年。著者はこの論集を過去の「亡霊を呼び起こすような愚挙」と自嘲しているが、どうだろう。現在の日本で唯一の大衆的実力闘争を展開している沖縄の反基地闘争では「沖縄独立論」(琉球ナショナリズム)が台頭している。<琉球王国時代という前近代>の民衆伝統が日米安保の戦後統治ルールに立ち向かう戦闘性の根拠となりつつあるのだ。この本、意外に時を得ているのかも知れない。

(弦書房 ・ 2484円)

<わたなべ・きょうじ>1930年生まれ。日本近代史家。著書『幻影の明治』など。

◆もう1冊 

 栗原彬著『証言 水俣病』(岩波新書)。病苦に耐え、差別や偏見と闘って生きた水俣病の患者たち。その体験と思いを伝える証言集。

 

この記事を印刷する

PR情報