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【書評】

対岸のヴェネツィア 内田洋子 著

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◆「幻都」を眺め、暮らす

[評者]和田忠彦=イタリア文学者

 ある日ふとヴェネツィア暮らしを思い立つ。長年暮らすミラノから列車で二時間半足らずの、それまで日帰りですませてきたアドリア海に浮かぶ町に、それも冬二月、沁(し)みるような寒さと見る間に行く手を阻む高潮による冠水だけでも敬遠するのがまっとうに思える季節を選んで、わざわざ出かけ、翌月には暮らしはじめる。見つけた家は、運河をはさんで北にヴェネツィア本島を望む東西に長いジュデッカとよばれる離島にあった。

 表題にある「対岸」とは、ヴェネツィアという町との距離の取り方を指している。人でにぎわうサン・マルコ広場や、その手前の干潟にあるアカデミア美術館を、それぞれ分かつ運河の水が、さて流れているのか澱(よど)んでいるのか、対岸にある島に暮らしながらながめてみる。水上バスに乗って本島に、さらには周辺にあるほかの離島に「上陸」し、自分の足で歩いてみる。道に迷いながら手探りで歩く。そうして五感を研ぎ澄まし、からだ全体で吸い込んだ「幻都」ヴェネツィアの空気を「対岸」に持ち帰って反芻(はんすう)する。

 さまざまな人との出会いが町の貌にゆたかな陰翳(いんえい)を加えてゆく。その貌(かお)にいつしか故郷神戸須磨の気配が重なって、安堵(あんど)をおぼえている自分に著者は気づく。

 崩れそうで崩れない堆積した時と暮らす術(すべ)を識(し)る者だけに許される贅沢(ぜいたく)がここにはある。

(集英社・1512円)

<うちだ・ようこ> 通信社ウーノ・アソシエイツ代表。イタリア在住。

◆もう1冊

 内田洋子著『ジーノの家』(文春文庫)。山上の小さな家の家主ジーノをはじめ、イタリアの人々を描いたエッセイ集。

 

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