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【書評】

女王ロアーナ、神秘の炎(上)(下) ウンベルト・エーコ 著

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◆霧に包まれた記憶を探す

[評者]篠原資明=哲学者

 エーコは、哲学者として知られるが、『薔薇(ばら)の名前』などの小説家としても知られている。五作目の小説に当たる本作の邦訳をもって、エーコの小説全七作が日本語で読めることになった。まずは、そのことを喜びたい。

 ただ、エーコの小説の中で本作は、少なくとも二つの点で異色といえよう。まず、主人公のヤンボがエーコと同世代であるところからもうかがえるとおり、自伝的色彩が濃いという点。つぎに、図版類がふんだんにちりばめられているという点である。そして、それら図版の多くはエーコ自身の所蔵になるものであることを考えあわせると、それら二つの点は重なり合う。

 簡単に筋をたどれば、記憶喪失に見舞われたヤンボが、失われた記憶の手がかりを求め、少年時代を過ごした田舎の旧宅を訪れるが、本や新聞、レコードなどからは肝腎(かんじん)の手がかりを得ることができず、ふたたび倒れてしまい、生死の境をさ迷うことになる。そんな中で記憶が甦(よみがえ)るのだが、大切な初恋の女性リラの顔だけがはっきりとしないまま小説は閉じられるのである。

 ヤンボは祖父同様、古書籍商を営んでいる。いわば本まみれの生活だ。『薔薇の名前』の修道院図書館と、どこか通じ合う設定といえる。全体として、引用の織物として綴(つづ)られているおもむきも、やはり通じ合う。ひとことでいうなら、両作ともにポストモダンな造りとなっている。違うのは、本作が、ファシズム期を身をもって生きた作者ならではの「失われた時を求めて」となっているところだろう。全体として、引用と情景描写ともに、霧にまつわる表現が効果的に織りなされていて、味読の楽しみを増してもくれる。

 読みやすいどころではないイタリア語原書を日本語作品に仕立て上げた訳者への称讃(しょうさん)は惜しまないが、それだけに、イタリア軍のアフリカ「東部」前線とすべきところが「西部」前線とされるなどのミスが見受けられたのは、残念ではある。

(和田忠彦訳、岩波書店・各2592円)

<Umberto Eco> 1932〜2016年。イタリアの記号学者・小説家。著書『記号論』など。

◆もう1冊

 ウンベルト・エーコ著『薔薇の名前』(上)(下)(河島英昭訳・東京創元社)。中世の北イタリアの修道院で起きた怪事件をめぐる推理小説。

 

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