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【書評】

津波の霊たち 3・11 死と生の物語 リチャード・ロイド・パリー 著

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◆遺族の折り合う心と反発

[評者]中野不二男=ノンフィクション作家・京都大特任教授

 「集落は地球から洗い流されていた」

 津波がひいた直後の衝撃的な光景が目に浮かぶ。東日本大震災における、大川小学校の事件とは、なんだったのか。著者は子どもを失った遺族たちを中心に“あのとき”を詳細に聞き書きしてゆく。大川小学校では、保護者間の友情の崩壊も起きていた。「どうしてわたしの子どもたちも連れてきてくれなかったの?」。娘の遺体が見つかった母と、自ら重機の免許を取って未(いま)だ見つからない子どもの捜索を続ける母の対立。そして幹部教員と教育委員会のずさんな対応に対する憤り。

 家族や友人を失った人々にとって、その痛みは癒やされることのないトラウマである。明治の三陸大津波の後も今回も、多くの人々が幽霊を見たという。消えない不安や怒りを自分の心に閉じ込め、耐えてゆくうち、そのような状況になる傾向があるのだという。なんとかして自分の心の中で折り合いを付けようと我慢した結果なのだろう。

 考えてみれば私たち日本人は、この“我慢”を美徳としてきた。新潟の、決して豊かではない家庭で育った私は子どもの頃から“我慢”することを諭されたが、心の中では反発していた。“我慢”は、目標に向かって苦難に耐えることではなく、世間の和を最優先し、自分を出さぬことだったからだ。

 そんな思いをもつ人は少なくないはずだ。日本在住二十二年になる著者は、被災地のいたるところで、そうした空気を敏感に感じ取っている。「主語が曖昧なことが多かった」「私としては、日本人の受容の精神にはもううんざりだった。過剰なまでの我慢にも飽き飽きしていた」。だから、ただ苦しみに耐えるのではなく、周りからどう見られようと、大川小学校裁判で戦う保護者たちに共感しているのだろう。

 「3・11」については、いくつもの本や記録を読み、考えてきた。しかしこの本の強烈なメッセージは、不思議なほどすーっと腑(ふ)に落ちた。

(濱野大ひろ道みち訳、早川書房・1944円)

<Richard Lloyd Parry> ザ・タイムズ東京支局長。著書『黒い迷宮』など。

◆もう1冊

 奥野修司著『魂でもいいから、そばにいて』(新潮社)。大震災で愛する人を失った人たちの不思議な体験と再生のノンフィクション。

 

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