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【書評】

人形 ボレスワフ・プルス 著

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◆ロマン主義の隠れた傑作

[評者]阿部賢一=東京大准教授

 バルザックやディケンズら、十九世紀のヨーロッパ小説の醍醐味(だいごみ)は、風俗を交えた都市社会の緻密な描写にある。産業革命により、都市に暮らす人々の環境、感性が一変したからだ。

 ポーランドの小説家ボレスワフ・プルスの『人形』もその系譜に連なる。物語は、ワルシャワにある高級雑貨店を舞台にして展開する。露土戦争でひと財産を築いた店主のヴォクルスキは、貴族の娘イザベラに心を奪われて仕事も手につかない。かつてであれば、二人の間には越え難い身分の差があった。だが今やイザベラの一家は傾きつつある。父はポーカーで使用人から金を巻き上げ、本人も婚期を逃しているのを感じている。そのような折、ヴォクルスキは財力に物を言わせて、イザベラに接近を試みる…。

 この二人の関係に、店を取り仕切るジェツキの備忘録やユダヤ人の視線が加わり、さらにはワルシャワやパリの微細な都市描写も相まって、物語は立体的な深みを増していく。

 本書は千二百ページを超える大著だが、著者の本書にかける並々ならぬ想(おも)いは、当時の状況とは無縁ではなかっただろう。というのも、執筆当時、ポーランドという国は三国分割により存在しておらず、ポーランド語こそがポーランドの人々を結びつける靱帯(じんたい)だったからだ。それゆえ、貴族のイザベラも、宮廷言語のフランス語よりもポーランド語を好み、「自分はポーランド人であり、外国人には嫁がない」という信念を貫く。また作中には詩の引用がちりばめられ、ささやかな詩歌集の趣もあり、本書そのものがポーランドのロマン主義の結晶とも言えるかもしれない。

 しかも「麥酒(ビール)」「カフス釦(ぼたん)」といったどこか古めかしさを漂わせる表現により、訳文そのものにも味わいがある。ポーランド、いや、ヨーロッパの隠れた傑作を彫琢(ちょうたく)された邦訳で味わえることはこの上ない喜びである。

(関口時正訳、未知谷・6480円)

<Boleslaw Prus> 1847〜1912年。近代ポーランド語文学を代表する評論家、小説家。

◆もう1冊

 イヴァシュキェヴィッチ著『尼僧ヨアンナ』(関口時正訳、岩波文庫)。ポーランドの作家が十七世紀のフランスで起きた悪魔払いを、ポーランドを舞台に描いた小説。

 

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