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【書評】

かくれキリシタンの起源 信仰と信者の実相 中園成生 著

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◆禁教で変わらぬ信仰活動

[評者]大橋幸泰(ゆきひろ)=早稲田大教授

 近年、キリシタンに関する話題に事欠かない。ここでいうキリシタンとは一五四九年にフランシスコ・ザビエルが日本列島にもたらしたことに起源を持つ、日本のキリスト教のことである。世界遺産登録を目指す運動ばかりでなく、新たな絵画・史料・遺物・遺骨などの相次ぐ発見や映画「沈黙」の公開が話題になった。キリシタン研究は新たな段階に入ったといってよい。とりわけ、禁教期の江戸時代を生き延びた潜伏キリシタンの実像に迫る研究がいくつも発表されてきており、本書はそのもっとも良質な研究書といえる。

 著者は長崎県平戸市生月島(いきつきじま)にある博物館「島の館」の学芸員である。二十一世紀の今日まで、キリシタンの信仰を何代にもわたって継承してきた人々がいる現地で、丹念に彼らの信仰や生活を調査してきた。その集大成といえる本書において、他地域の潜伏キリシタンと比較しつつ、新たなキリシタン像を提供することに成功している。

 本書が指摘しているもっとも重要な論点は、キリシタンの禁教期変容論を否定したことである。潜伏キリシタンといえば、長い間、厳しい禁教によって本来のカトリックとは異質なものに変化したと考えられてきた。しかし、禁教期の潜伏キリシタンとそれを継承する現代のかくれキリシタンの信仰活動は、禁教前の宣教師の記録に表れているキリシタンの信仰活動と比べても大きな差異はないと著者はいう。

 この事実は、キリシタンの信仰活動に見られる神仏信仰の位置が、キリシタンとの融合ではなく、並存というべきものであったことを意味する。神仏信仰が否定されるべきなのは宣教師の考えであって、信徒の立場からのものではない。

 本書を貫く視線はキリシタン信徒自身のそれである。宗教の歴史は教団の論理で描かれがちであるが、信徒の目線で宗教を見れば、教団の論理とは異なった豊かな信徒の姿が見えてくることを本書は教えてくれる。

(弦書房・4320円)

<なかぞの・しげお> 1963年生まれ。民俗学者。著書『くじら取りの系譜』など。

◆もう1冊

 大橋幸泰著『検証 島原天草一揆』(吉川弘文館)。キリシタンによる武力蜂起を発掘調査や文献から検証し、歴史的意義を探る。

 

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