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【書評】

十五の夏(上)(下) 佐藤優 著

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◆東側へのみずみずしい旅

[評者]岡本啓=詩人

 この世界からなくなった国家へは、もはや作品のなかでしか訪れることができない。この旅行記は、いわば姿を消した国へのガイドブックだ。とはいえ、おとぎ話ではない。世界が東西に分断されていた冷戦期の一九七五年、埼玉の高校に通う十五歳の少年が夏休みをつかって単身、社会主義体制の国々を横断する。東側では、派手な広告のかわりに大きな肖像画の視線に見つめられる。ソビエト連邦へのビザは、事前に滞在中のホテルと移動手段のすべてを手配しなくてはおりなかった。熱いコーヒーにもなかなか溶けない角砂糖、ホテルのごわごわのタオル、舌や皮膚に接触する細部の描写の積み重ねが旅を立体的なものに見せていく。上下巻で計八百ページを超える分厚い自伝小説だけれど、明快な文章に腕をひかれるように、みるみるページをめくることができた。

 旅先での会話が印象に残る。主人公と向き合う大人の声が、不思議とよく聞こえ、胸に響く。なぜかと考えると、大人たちが、まだ未決定な若い魂と対峙(たいじ)することで実直になっていると気づく。十五歳の少年の意志に耳を澄ましてまっすぐ応えようとするから、素直に読み手に届くのだ。この親身な助言を、不透明な将来を抱えた高校生の頃に読むことができたら、どれほどいいだろうか。月日が過ぎて届いた「1975年の夏のことを僕たちは忘れない」と書かれた手紙は、異なる国家の事情をこえて語り合った者だけが受け取ることができる美しい言葉のようにおもう。

 本著は、ロシアの日本大使館で働き、元外務省主任分析官という特異な経歴をもつ作家が誕生する物語として読むことができるのはもちろん、一九七五年の世界のみずみずしい一枚のポートレートとしても見事だ。すでにない他者なる国家が日本の現在地を問いかける。ノスタルジーではない。読者の将来に対する真摯(しんし)なアドバイスに満ちた人生のガイドブックだ。

(幻冬舎 ・ 各1944円)

<さとう・まさる> 1960年生まれ。作家。著書『国家の罠』『自壊する帝国』など。

◆もう1冊 

 佐藤優著『紳士協定−私のイギリス物語』(新潮文庫)。十五の夏から十一年後、著者は語学研修先の英国で十二歳の少年と出会う。

 

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