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【書評】

シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち 北村紗衣 著

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◆本の書き込み、手紙も分析

[評者]冬木ひろみ=早稲田大教授

 本書は一種の演劇受容論であるが、これまでのものと大きく異なるのは、十八世紀半ばにシェイクスピアがいかにしてイギリス文学を代表する正典となっていったかを、歴史上軽視されがちであったシェイクスピアを楽しむ女性たちに注目して解き明かしている点である。元となったのは著者がロンドン大学に提出した博士論文だということだが、ここでの筆致は比較的軽みを帯びている。カンバーバッチの舞台『ハムレット』や、北海道の小さな映画館で上映されたディカプリオの『ロミオ+ジュリエット』を見にきた女性たちを裏切ることはできないという、冒頭部分での女性ファンに寄り添う著者の言葉は、早速に読者の心を掴(つか)んでゆく。また、テクストの解釈を共有している人々による「解釈共同体」という考え方の導入や、「楽しみ」としての読書・観劇を重視するという立場は、生きた受容の実態を解明しようとする著者の姿勢を示している。

 本書は、ある時代の文化・風俗史といった側面もあるが、巻末の文献一覧の膨大さが物語るように、著者は世界中の閲覧できる限りのシェイクスピアの版本に当たり、欄外の書き込みやサイン、蔵書票、手紙などを詳細に分析した成果を一種の知的エンターテインメントに仕上げている。名の知れた女性作家だけでなく、メアリ・リーヴァーといったこれまで全く知られなかった女性たちの身元や、所蔵していた版本の譲渡の状況が、推測を含みながらも解明されてゆく過程は、さながら謎解きのようでスリリングである。

 難を言えば、翻訳で気になるところが若干あるし、ポップカルチャー風の言葉や「ファンダム」などの万人向けではない言葉への配慮もほしい。しかしながら本書が優れているのは、緻密な分析に基づいたシェイクスピアの新しい受容史を示すとともに、シェイクスピア劇を読み、見にくる、現代につながる名も知らぬ女性たちの文化的記憶の書ともなっていることであろう。

 (白水社・3024円)

 <きたむら・さえ> 武蔵大准教授。編著『共感覚から見えるもの』など。

◆もう1冊 

 河合隼雄・松岡和子著『決定版 快読シェイクスピア』(新潮文庫)。心理学者と翻訳家が謎多き作家の十一本の戯曲を対談で分析。

 

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