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【書評】

漱石の家計簿 山本芳明 著

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◆金は名ばかり 金嫌いの訳

[評者]長山靖生=文芸評論家

 漱石の小説は登場人物の社会的地位や経済状態が客観的に分かるように書かれており、その立場と言動のずれから人物の個性が読み取れる構造がある。そんな小説を書いた漱石は、当然ながら金に関心の強い人だった。ただし、ふつう金に関心の強い人は、「どうやって金を儲(もう)けようか」を考えるものだが、漱石は金持ちを嫌い、投資や浪費を慎んでもいた。

 と、ここまでは割と知られている話で、漱石の印税を記した『漱石の印税帖』を活用した研究も既にあった。だが本書ほど徹底的な「漱石と金」の研究本はなかった。しかもその徹底性は評伝的な探求にとどまらず、作品論から明治・大正・昭和の経済情勢、出版界の動向にまで及ぶ。やりつくされた感のあった漱石研究に意外な角度から切り込んだ、目から鱗(うろこ)が落ちる本だ。

 漱石が金持ちを嫌った背景として、報酬は労力に見合って支払われるべきで、投資などの「金が金を産む」システムを嫌ったという倫理的側面に加え、漱石自身が骨董(こっとう)や謡を好んだことが挙げられているのも面白い。高価な品が買えない漱石は、文化的世界でも金に飽かせてヘゲモニーを握ろうとする金満家に憤りを覚えていた。

 思えば漱石は、謡はやっても能舞台には関心が薄かった。大金持ちは自宅に舞台を設(しつら)えたが、それは漱石には不可能だ。茶道を学ばなかったのも、それが高価な道具集めと結びついた世界だという思いもあったろう。その一方で文人趣味は強く、明清の文房具や開放的な庭園には強く惹(ひ)かれてもいた。

 さらに本書は、漱石没後の夏目家の経済事情も詳細に追っている。鏡子夫人は漱石と違って株を豪快に運用し、一時はかなり利益を上げて自信も持ち、漱石の友人や弟子の口出しを抑えて采配をふるった。しかしその後、投資に失敗して、岩波書店とも金をめぐる緊張関係が生じた…。

 面白い逸話が満載で、漱石ファンはもとより、お金に興味があるすべての人にもお薦めしたい。

(教育評論社・2592円)

<やまもと・よしあき> 学習院大教授。著書『カネと文学』『文学者はつくられる』など。

◆もう1冊 

KAWADE夢ムック『夏目漱石』。対談、作品案内など保存版ガイド。

 

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