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【書評】

背中の地図 金時鐘(キムシジョン)詩集

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◆災いに向けた言葉の投石

[評者]和合亮一(詩人)

 車を走らせる。車窓を震災から七年が経(た)った春が過ぎていく。昨秋に開通になった国道114号を通り、太平洋の方面へ。山木屋地区(福島県川俣町)を過ぎて浪江へと向かう。まだ帰還が許されていない地域の家々が並んでいる。

 届いたばかりの金時鐘の詩集を開くことが多い。ふとこのフレーズが浮かぶ。「帰りつけない住処(すみか)ではあっても/蔓草(つるくさ)は延び、花は咲く」。誰もいない集落の光景を眺める。新しい季節の訪れに際して草木は鮮やかに芽吹く。寂しい緑色の道行きは続く。

 「またも春は事もなく例年どおり巡っていくことであろう。記憶に沁(し)み入った言葉がないかぎり、記憶は単なる痕跡にすぎない」と詩集の中で語っている。頭や心に留めるだけではなく、<沁み入る>。この無人の家屋に息吹(いぶ)いている草花を見つめていると、何も語らない言葉の欠片(かけら)たちが根を張り葉を揺らしているかのように見えてくる。歳月の経過の意味を、深くその影で問うている。<沁み入る>現在が宿り、ここで確かに緑生している気がした。

 書物は扉の中で言葉の石を静かに次々と投げかけようと待っている。災いを真ん中において、生きることの根源の意味を問いかけようとする真っすぐな心からの投石に他ならない。東日本大震災の抱える問題が、様々な問いの引き出しを持ちながら目の前にあるかのように、詩集は凜(りん)とたたずむ。

 「慈しみよ、わたくしたちの思いやりは/行き場のない手余物(てあましもの)を/まっ黒い「フレコンバッグ」に封じ込めることではない」。ここには国内で最初に除染が始まった、私の故郷の地区(福島市大波)の風景が描かれる。根を下ろして生きてきた人々の、行きどころのない悲憤の封印が、闘う詩人に筆を走らせたのだろうか。黒い袋は海へのルートの先々に今も置かれてある。

 言葉の道標(みちしるべ)の先へ。異郷の詩人の呼吸と季節の息とが呼応して、照らし出そうとする道がある。読み進めるかのように無人の野辺でアクセルを踏む。

(河出書房新社・2700円)

1929年、朝鮮生まれ。詩人。著書『猪飼野(いかいの)詩集』『朝鮮と日本に生きる』など。

◆もう1冊 

和合亮一著『詩の礫(つぶて)』(徳間書店)。福島在住詩人の言葉の投石。

 

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