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【書評】

柳宗悦(やなぎむねよし)「無対辞(むたいじ)」の思想 松竹洸哉 著

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◆「一」の境地で結ばれる民藝

[評者]伊藤氏貴(文芸評論家)

 「むねよし」か「そうえつ」か、読み方は分かれても、柳宗悦の名を目にしたことのない者はあるまい。富本憲吉(とみもとけんきち)、濱田庄司(はまだしょうじ)ら多くの陶芸家を後押ししつつ「民藝(みんげい)運動」を導き、その結晶が「日本民藝館」として今も東京・駒場に残る。若い頃に志賀直哉らと親しく交わり、『白樺』同人として西洋美術を積極的に日本に紹介したことでも有名だろう。

 しかし、彼がその頃どのような文章を発表していたのかまでを知る者がどれほどいるか。たとえば『白樺』に寄稿した一文の表題は「生命の問題」であり、その傍らで上梓(じょうし)した書物は『宗教とその真理』である。宗教哲学こそが柳の原点であり、それは晩年まで揺るがなかった。そのことに、少なくとも私は本書を通してはじめて気づかされた。

 表題にある「無対辞」は、ここで簡単に説明するには手に余るが、柳が死の直前までこだわった言葉であり、美醜の差を含め、近代的二元論を超える「一」の境地に達するものである。これは仏教など特定の宗教に基づくものではなく、キリスト教神秘主義にさえ通ずるという。

 しかしこうした普遍を目指す思想は、えてして抽象的で空疎なものに終わりやすい。それを形あるものとして具現したのが民藝だったと言えるだろう。美を第一に追求しないところにふと現れるその美は、日本だけのものではない。柳が民衆の雑器の美に覚醒したのはまず朝鮮の器によってであったし、その後、英国の器にも目を向ける。場所は違えど、同じ大地の土から、そこに根を下ろす庶民たちによって作られたものなのだ。

 こうして柳の思想は、諸宗教のレベルを超えた高いところで結ばれ、一方その体現である民藝はおのおのの国のレベルを超えた深いところで結ばれる。どちらが欠けても柳の偉業は果たされなかっただろう。柳における理論と実践とのこうした合一に気づきえたのは、著者自身が反戦運動の理論を経巡った後に作陶の実践に進んだがゆえなのかもしれない、とあとがきを読みつつ考えた。

(弦書房・2592円)

1946年生まれ。熊本県に窯を持つ陶芸家。

◆もう1冊 

赤木明登(あきと)著『二十一世紀民藝』(美術出版社)。塗師(ぬし)による「民藝」論。

 

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