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【書評】

文壇出世物語 新秋出版社文芸部 編

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◆読書へ誘う生き生きゴシップ

[評者]中沢けい(作家)

 夕刻の駅のホームでタブロイド紙や週刊誌の表紙を見比べ、どれを買おうかと考えるのは、情報が欲しいからではない。ゴシップが読みたいからだ。人のうわさはカモの味と言う。良きにつけあしきにつけ、世の中いろいろな人がいるもんだなと電車に揺られながら皮肉や諧謔(かいぎゃく)の効いた文章を読むのは都市生活者の小さな楽しみだ。

 最近、そのゴシップの書き方がおかしくなっている。大人びた慣用句を使いこなせないままの文章、皮肉がアイロニーを生まない文章、ゴシップを楽しむ前にこの文章はおかしいだろうと首をひねることが多くなった。こちらが歳(とし)をとったのかと考えていたら、私よりも若い作家も同じようなことをツイッターでつぶやいていた。

 『文壇出世物語』は大正十三年発刊。明治後期から大正へかけ盛んになった新聞、雑誌で活躍する書き手と編集者たちのゴシップを集めた本だ。執筆者は匿名。しかし、解説の志村有弘(くにひろ)氏によると、武野藤介(たけのとうすけ)、井伏鱒二(いぶせますじ)の筆になるものと推定される。後年、武野藤介がまだ早稲田大学へ通っていた頃「糊(のり)と鋏(はさみ)」でゴシップ本を作ったと回顧している。井伏鱒二も早稲田の学生であった。当然、取り上げられる人物は早稲田出身が多くなる。

 明治から大正へかけて盛んになった文芸出版の成果の多くは、関東大震災で灰じんに帰してしまった。それを補うために一冊一円の円本と呼ばれる全集が発刊され、出版界に大きな利益をもたらしたことはよく知られている。関東大震災と円本ブームの間で出版され、文壇の消息と逸話を集めたこの本は、多くの人に震災で失われた書物の記憶をよみがえらせると同時に、よい読書案内になったことだろう。

 生き生きとした逸話にあふれた文学史として読んでも面白い本だが、この本を読んでいるとゴシップの書き方をもう一度、勉強しなおしている気分になる。カモの味がするうわさ話だ。

(幻戯書房・3024円)

大正期の出版社。詳しくは不明。本書は大正13年に刊行されたものを復刊。

◆もう1冊

瀬戸内寂聴著『奇縁まんだら』(日本経済新聞出版社)

 

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