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【書評】

ヒロシマ・パラドクス 根本雅也 著

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◆語りが規範化、抜け落ちる声

[評者]田仲康博(国際基督教大教授)

 広島にまた夏がめぐってきた。今年も多くの言葉がメディアを介して飛びかい、同様に多くのイメージが拡散されることだろう。常套句(じょうとうく)をちりばめただけの要人の挨拶(あいさつ)が象徴するように、平和式典もいまでは年中行事となった。

 記憶の継承が重要であって、同じ言葉を使い回すことにとくに問題はないという意見があるかもしれない。しかし、人道主義的な言説や行為が、現在も作動し続ける暴力を容認することにつながっているとしたら、どうだろう。

 広島への原爆投下とその災禍をめぐる言説の特徴を検証した著者は、問題の核心に「ヒロシマの普遍主義」があると説く。特徴の一つ目は、広島こそが原爆の記憶を語り継ぐにふさわしいとする地域主義である。

 二つ目の特徴は、人類を救うために国境や民族を超える必要があるとする人道主義的な語りが前景化することにある。問題は、それがさまざまな立場の人を包摂するように見えて、具体的な政治につながる回路を排除してしまうことにある。

 著者は、被爆体験者がいつしか経験の集合的な側面のみを強調しがちになることにも問題があるとする。そこからは集合的経験を共有しない被爆者の声が抜け落ちていくからだ。体験者は「語り手」として自己を形成するプロセスのなかで、「被爆体験の継承」という規範に従属することを余儀なくされる。

 著者がとくに問題視するのは、制度化された語りの裏で、今もなお被爆者やその関係者を苦しめる「<原爆>という暴力」の存在が不可視化されていくことだ。

 本書の新しさは、言説や表象を研究する認識論的な視点に加えて、今も<原爆>とともに生きざるを得ない人々のリアリティ、彼らの存在そのものに光をあてる存在論的な視点をあわせ持っていることにある。

 <原爆>は現在進行形の暴力装置として人びとの<生>を抑圧する。終章で著者は言い放つ。反原爆とは「人が生きることを否定するものに反対する立場」であると。

(勉誠出版・3456円)

1979年生まれ。社会学者。日本学術振興会特別研究員。

◆もう1冊 

福間良明著『焦土の記憶−沖縄・広島・長崎に映る戦後』(新曜社)

 

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