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【千葉】

「全て失った」「無念の思いくんで」 原発避難者訴訟 原告6人が陳述

横断幕を持ち、千葉地裁に向かう原告の弁護団ら=千葉市で

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 東京電力福島第一原発事故の影響で千葉県などに避難した十八世帯四十五人が国と東電に計約二十二億円の損害賠償を求めた千葉地裁の集団訴訟が三十一日、結審した。判決は九月二十二日に言い渡される。事故から三月で六年。ついのすみかを失うなどした原告らは「避難者の無念の思いをくみ、公正な判決を出してほしい」と訴えた。 (中山岳、柚木まり)

 原告たちは、二〇一三年三月と同七月に提訴。原告は当初十八世帯四十七人だったが、これまでに六人が亡くなり、遺族が訴訟を引き継ぐなどしている。

 訴訟は▽事故前に原発の敷地の高さを越える規模の津波を予測できたか▽国や東電は事故防止策を怠ったと言えるか▽現在の賠償は十分か−などが争点となっている。

 三十一日の審理では、原告六人が意見陳述した。福島県浪江町から千葉県内に避難した元浪江町議の男性(86)は「原発事故で、年月をかけて築き、守ってきた財産の全てを失った」と訴えた。

 男性は、父や兄を戦争で亡くし、浪江町で稲作や養蚕などで家族を養ってきた。原発事故後、自宅は帰還困難区域となり、自宅にある先祖代々の位牌(いはい)や、両親、兄、妻の遺品などは今も持ち出せないままだ。「生きがいにしてきた農業をやめさせられ、自由に耕作してきた米や野菜さえ買わなければならない」と切々と語った。

 その上で男性は、国は事故前、都会に電気を送るために福島県に原発を十基設置する許可を出し、災害対策が不十分だった責任があると指摘。「全ての『帰還できない』皆さまに、平等な補償が考慮されるきっかけになることを心より願います」と述べた。

 福島県内から夫婦で千葉市に避難した、六十代の女性は「見ず知らずの地で夫をみとらねばならなかった。憤りを抱えて生きている」と声を絞りだした。

 夫は避難後に寝たきりになり、一五年八月に亡くなった。女性は夫を看護した日々を「誰も頼れる人もなく、孤独と不安で生きている心地がしなかった」と振り返った。「何もかもなくした今、いつまで我慢すれば良いのか、とてもむなしく、悲しい。六年の避難生活が報われ、今後このような思いをする人が出ないようにしてほしい」と語った。

◆原告側 3万人超の署名

 原告と弁護団は開廷前の三十一日午前、千葉市の県弁護士会館で決起集会を開き、支援者ら約百人と「原発被害の完全賠償を命じる判決を求める」と決議した。

 集会後、弁護団らは「国と東電は事故の責任を取れ」と書かれた横断幕を持って千葉地裁前を行進し、審理に臨んだ。

 福島県富岡町の自宅に戻れず習志野市に避難し、現在は東京都練馬区で暮らす原告団代表の遠藤行雄さん(83)は決起集会で「ふるさとへの帰還を切望しながら他界された方々の無念は、裁判に勝利して初めて報いることができる」と決意を述べた。

 原告側は三十一日、公正な判決を求めて集めた署名三万二千四百七十八人分を地裁に提出した。

◆「私たちが勝たなくては」原告ら閉廷後の集会で訴え

 原告や弁護団らは閉廷後、県弁護士会館で集会を開いた。弁護団の福武公子団長は「国と東電を相手取った裁判の判決はまだ出ていない。多くの人に注目してもらい、私たちが勝たなくてはいけない」と述べ、九月二十二日に決まった判決に向け強く訴えかけた。

 集会には、原告や弁護団のほか、他県で同様の訴訟を起こしている関係者ら約百八十人が参加した。福武団長は「福島のように地域を追い出されて避難しなくてはならない事例は極めてまれ。日本の原発は安全だと繰り返してきたが、多くの人が事故が起きたら大変だと分かったはずだ」と総括した。弁護団の滝沢信事務局長も「判決まで八カ月ある。この期間が何を意味するのかこれから分析し、各裁判所で進む審理を見据えて戦っていきたいと思う」と述べた。

 

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