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【千葉】

頼朝の航海 史実検証へ ヨットで真鶴岬から館山−千葉港

源頼朝が船で房総に逃れた状況について解説する丸井敬司さん=千葉市で

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 打倒平氏を掲げて挙兵した源頼朝が「石橋山の戦い」で敗れ、真鶴(まなづる)岬(現・神奈川県真鶴町)から船で南房総に渡った史実を検証しようと、千葉市民の有志が、「頼朝の房総渡海プロジェクト実行委員会」を設立した。頼朝の上陸地には諸説あり、九月二十三〜二十四日、真鶴岬から館山市洲崎を経由し千葉港まで、約百二十キロをヨットで航海し、頼朝の渡海ルートを探る。

 頼朝は一一八〇(治承四)年八月、石橋山の戦い(現在の神奈川県小田原市)で、大庭景親(おおばかげちか)ら平氏に敗れた。その後、船で真鶴岬を出て南房総の安房国に逃れて再起を図り、鎌倉幕府の開府につなげた。

 実行委は今月八日に発足。メンバーは八人で、安田教育振興会理事長の安田敬一さん(86)=千葉市中央区=が委員長、元千葉市立郷土博物館館長の丸井敬司さん(69)=同=が事務局長に就いた。

 頼朝が海を渡ったとされる時期に近い九月二十三日を出発の日とし、丸井さんらが、頼朝が通った可能性がある真鶴岬−館山市洲崎の約六十キロをヨットで航海。翌二十四日は、洲崎から、頼朝が上陸した可能性がある場所に近い鋸南町の保田港に寄りながら、千葉港(千葉市)まで航行する。

 今月八日に千葉市中央区で開かれた設立大会で、安田さんは「頼朝は千葉氏と接点があり、房総に逃れてきたことはあまり知られておらず、渡海ルートを調べることは歴史的な意味がある」と話した。

 頼朝は房総に上陸後、家臣の三浦氏と合流。千葉氏の千葉常胤(つねたね)らの支援も受けたとされる。丸井さんは「渡海経験のない頼朝が、安房の海岸に正確に到着できたことは大きな謎。検証したい」と話している。

 実行委は協賛金を募っている。問い合わせは丸井さん=電090(3576)0810=へ。 (中山岳)

 

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