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【千葉】

関東大震災直後の朝鮮人虐殺 「負の歴史」後世に、慰霊祭に80人

当時の軍人の日記を説明する小薗崇明助教。日記には「鮮人と見るやものも云(い)わず、大道であろうが何処(どこ)であろうが斬殺してしまうた」などと記されていた=八千代市で

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 関東大震災(一九二三年九月一日)直後の混乱期に虐殺された朝鮮人の慰霊祭が十日、八千代市高津の観音寺で営まれた。当時の出来事を知る学習会もあった。朝鮮人の虐殺を巡っては、公的な記録がほとんどなく、数少ない関係者の日記や証言などが残っているだけ。このため参列者たちは「当時起きたことを知り、『負の歴史』を後世に伝えていくことが、過ちを繰り返さないことになる」と誓いを新たにした。 (保母哲)

 大震災では「朝鮮人が井戸に毒を投入した」などのデマが関東各地で広がり、県内でも住民による自警団や軍人らが朝鮮人を殺害した。八千代市や船橋市、市川市、習志野市などで虐殺があったと伝えられている。

 このため一九七八年に教員や市職員、主婦ら有志が「千葉県における関東大震災と朝鮮人犠牲者追悼・調査実行委員会」を結成。記録や証言を集めるなどしてきた。観音寺境内には九九年、虐殺された六人らを弔う「関東大震災朝鮮人犠牲者慰霊の碑」が建立されている。

 この日の慰霊祭を主催したのは、同委員会と地元の高津区特別委員会、観音寺の三者。関係者ら約八十人が参列し、住民が鐘をついて黙とう。住職の読経が流れる中、順番に焼香するなどした。

 慰霊祭前に本堂であった学習会では、東京成徳大学の小薗崇明(たかあき)助教が当時の様子を講演。市川市に駐留していた陸軍軍人の日記や、船橋市で発生した自警団による虐殺を報告した住民の日記を、スライドを交えながら紹介した。

 習志野市に開設された収容所では、保護した朝鮮人が近隣住民に引き渡された後、殺害されたことなども説明。小薗助教は「(現在では)こうした過去をなくそうとする人もいる。私たちは過去を知らねばならない」と強調した。

 参列者の間からは、東京都の小池百合子知事が、関東大震災での朝鮮人犠牲者を弔う追悼文を出さなかったことを残念がる声が相次いだ。同委員会の中心メンバーの一人、平形千恵子さん(76)=船橋市=は「あったことを、なかったことにする勢力に加担することになる」と声を落とした。

 

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