東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 千葉 > 記事一覧 > 11月の記事一覧 > 記事

ここから本文

【千葉】

1世紀前の環境保全運動 熊楠生誕150周年 我孫子で展示

明治20年ごろ、友人と写真に納まる若き日の南方(右)(我孫子市杉村楚人冠記念館提供)

写真

 植物、民俗学をはじめ、幅広い分野の研究で活躍した博物学者の南方熊楠(みなかたくまぐす)(1867〜1941年)と、ジャーナリスト杉村楚人冠(そじんかん)(1872〜1945年)の交流をテーマにした展示「『知の巨人』熊楠と新聞人楚人冠」が、我孫子市杉村楚人冠記念館で開かれている。1世紀以上も前に環境保全運動に取り組んでいた2人の先駆性が、手紙のやりとりを通じて、浮かび上がる。 (堀場達)

 熊楠の生誕百五十周年を記念し、企画した。熊楠と楚人冠は、ともに旧制和歌山中学で学んだ。若いころから親交があり、明治二十(一八八七)年に米国へ留学した熊楠が、楚人冠(本名・広太郎)に宛てた五通の手紙と、楚人冠が熊楠に送った絵はがきを紹介している。

 このうちの一通は、熊楠がナイアガラの滝を訪れた際の見聞録。滝の様子や輸送装置のインクラインについて、図解入りで詳細につづっている。

 熊楠は明治末期、英国の科学誌ネイチャーに寄稿し欧米の学術界で名をはせたが、日本では無名の存在だった。東京朝日新聞社に入社した楚人冠は、同四十二年に大阪朝日新聞のルポ記事で、二回にわたって熊楠を取り上げ、いち早く熊楠の存在を全国に伝えた。

 熊楠は、神社の統廃合を進める国策の「神社合祀(ごうし)」への反対運動に乗り出す。神社の破却によって、貴重な植物が生息する鎮守の森が伐採されることに熊楠は憤った。楚人冠は熊楠のこの考えを記事にまとめて応援した。

 記事化の経緯をうかがわせて興味深いのが、同四十二年十一月に楚人冠が熊楠に宛てた手紙。熊楠から神社合祀反対の投書を託された楚人冠が、投書が長すぎて新聞に掲載できなかったことを熊楠にわびている。

 記念館の高木大祐学芸員は「熊楠の書簡をタネに楚人冠が記事にすることになった。熊楠の運動は一定の成果を上げ、神社合祀は終息した」と話す。二年後、熊楠は「ひとえに貴新聞の力」と楚人冠に感謝状を贈った。

 高木学芸員は「エコロジー(生態環境)に着目していた熊楠の見識と、新聞の社会活動への貢献に積極的だった楚人冠の先進性の合作ともいえる」と解説する。

 このほか、神社合祀反対の結果、守られた和歌山県田辺市の神島(かしま)を昭和四(一九二九)年、昭和天皇が訪れ、この際の熊楠による御進講を巡って、熊楠と楚人冠が交わした手紙も展示されている。展示は来年一月八日まで。入館料は一般三百円など。月曜、年末年始休館。

 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】

PR情報