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【千葉】

捕虜が日独の「懸け橋に」 習志野で収容所の講演会

「日本を紹介したドイツ兵捕虜がいた」などと話すフランク・博・ケーザーさん(左)=習志野市で

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 第一次大戦時、捕虜になったドイツ兵らが暮らした「習志野俘虜(ふりょ)収容所」を知る講演会が、習志野市内であった。同収容所にいたフリッツ・ルンプ(一八八八〜一九四九年)が、帰国後に日本の美術文化研究家としてドイツに日本を紹介し、日独の懸け橋になったことなどを、講演したドイツ人研究者が解説した。 (保母哲)

 研究者は、フランク・博・ケーザーさん(41)。昨年八月から半年間の予定で、日本学術振興会研究員として国内に滞在。父親がドイツ人、母親が日本人であり、明治時代から第二次大戦後までの日独関係史を研究している。

 ケーザーさんは三日の講演会や講演後、ルンプが捕虜時代などに日本の「伊勢物語」といった文学や劇、能、浮世絵に興味を持ち、母国で日本文化の書籍を出版したことから、「日本をドイツに紹介した」と述べた。

 日本は明治初期、ドイツの憲法や医学などを次々と導入。第一次大戦では中国・青島のドイツ領を占領したが、第二次大戦時には同盟を結んでいる。曲折をたどった両国の関係だが、ケーザーさんは「ドイツ人と日本人は真面目で約束を守る、間違ったら謝る、など似た面が多いですね」と話し、帰国後は「日本学」を研究するという。

習志野俘虜収容所での食事の様子(国立国会図書館所蔵「大正三四年戦役俘虜写真帖」より)

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 また講演会では、同収容所の研究を続けている、星昌幸・習志野市学校給食センター所長が、ベートーベンの交響曲第九番について言及した。「第九」が国内で初演奏されたのは百年前の一九一八年、習志野と同様にドイツ人がいた板東俘虜収容所(徳島県鳴門市)とされ、同市は「アジア初演」とPRしている。

 星さんは「習志野で演奏されたかどうかは不明」としながらも、「第九らしい曲を聴いた住民がいた」と話し、参加した市民ら約二百二十人を沸かせた。

 今回の講演会を主催したのは、習志野市民有志でつくる「習志野俘虜収容所を考える集い」。会場では、百年前に同収容所内にいた音楽家が作曲した曲のバイオリン演奏も披露された。

 

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