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【千葉】

<家族のカタチ>(10)三代で成田山新勝寺に勤務 信仰に寄り添う自負と責任

「境内をよく散歩している」と話す内田健さん(左)と尊明さん=成田山新勝寺で

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 正月三が日だけで三百万人を超す参拝客が訪れる成田市の成田山新勝寺。当時、大学三年生だった内田尊明(たかあき)さん(48)は一九九一年のこの時期に、寺の職員だった父の健(たけし)さん(73)から「暇だろ、アルバイトしないか」と誘われた。

 寺が設立した学校法人が運営する幼稚園から小中学校、高校へと進学した尊明さん。かつて小さな動物園もあった寺の境内は、幼いころからの遊び場だった。大本堂の前を通るときに立ち止まって手を合わせる習慣は、知らず知らずの間に身に付いた。

 そんな身近な寺だったが、一カ月単位で働くのは初めてだった。大本堂で休む暇なく護摩札を参拝客に渡す仕事に疲労困憊(こんぱい)。しかし、現場責任者の父は、テキパキと指示を出しながら動き回り、一月中は一日も休まず早出していた。

 「なぜ、そこまで働けるのか」と当初は疑問を抱いた。だが、同僚に頼りにされ、高齢の奉仕員に慕われる父の姿に日々接し、考えを改める。「格好良かった。こういう人生もあり、かな」。寺を就職先として強く意識したという。

 二〇〇九年に退職し、今は悠々自適の健さんは「俺がいなくても大丈夫とは言わせない。自尊心かな。そうやって束ねたんだ」と現役時代を回想する。

1972年の納め不動で導師を務める内田照こうさん(中央)

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 尊明さんの母方の祖父・照こう(しょうこう)さん(一九一一〜七八年)は、新勝寺の僧侶だった。「よく『おじいちゃんのにおい』と言っていたが、体から発していた塗香(ずこう)のにおいを今も覚えている」と懐かしむ。

 祖父は、十二歳で入寺し、翌年には得度して修行と布教に身をささげ、寺の法務部長を務めた。「他人からどう見られようと、正しいと思ったことをする人。趣味の俳句で教えを請うても素っ気なかったが、なんとなく心は通じていた」と健さん。

 一方で、「子どもは天から授かったもの」と常々言い、孫の尊明さんが風邪をひけば、お護摩を早めに切り上げて帰宅することもあったそうだ。

 成田山書道美術館長の工藤照淳さん(82)は「私も十二歳で親元を離れて厳しい毎日だったが、照こうさんのお宅で風呂に入り、家庭料理をごちそうになったこともある。小僧の時からとてもかわいがっていただいた」と感謝を忘れない。

 もともと縁を大事にする寺だが、内田家のように、信仰を寄せる人々に三代続けて接してきた家系は近年、珍しくなった。

 総務課や本堂課を経て、現在は企画調整課で開基一〇八〇年祭などの行事を担当する尊明さん。「入った頃は父親や祖父の顔に泥を塗れないと緊張感があったが、今は何とも。寺が良くなると信じたことをやっていくだけ。忖度(そんたく)はまったくしません」と笑う。

 そんな息子を、健さんは頼もしく思う。「『成田山新勝寺に勤めている』と自信を持って言えることが大事。自分に責任を持ち、信徒さんに迷惑をかけちゃいけないから。その点は何も心配していない。信用している」 (小沢伸介)

 

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