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【千葉】

子の健康考え、生きる道探す 家族で野田に自主避難、菅野貴浩さん

家族のために今日もトラックのハンドルを握る菅野さん=さいたま市の車庫で

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 「こんなに狭い日本で人の住めない土地を作ってしまった。賠償だけはしっかりしてほしい」

 東京電力福島第一原発事故で、福島県の避難指示区域外から千葉県に避難した六世帯十九人が国や東電に損害賠償を求めた集団訴訟(第二陣)。昨年十一月、千葉地裁で開かれた口頭弁論。原告の一人で、福島市から野田市に家族五人で避難した菅野貴浩さん(55)は声を振り絞り、訴えた。

 菅野さんの自宅のある福島市渡利地区は、福島第一原発から約六十キロ、JR福島駅の南東約二キロにある住宅街。菅野さんは事故から三カ月後の二〇一一年六月、自宅の駐車場で買ったばかりの線量計を向けると、空間放射線量の国の基準値(毎時〇・二三マイクロシーベルト)をはるかに超える一七マイクロシーベルトを計測した。

 周囲は子どもの被ばくを恐れ、避難する家が多かった。当時、小学一年生だった三女が遊んだ近所の公園は、高線量のため立ち入り禁止に。「ここにはもう住めない」。子どもの健康を最優先に考え、県外に避難することを決めた。

 その一カ月後、トラック運転手だった菅野さんは、幸いにも埼玉県内の運送会社に転職が決まった。借り上げ住宅も職場から車で二十分ほどの野田市内で見つかった。一一年十一月、妻の里美さん(55)、長女、中学三年の長男、三女との五人の避難生活が始まった。

 だが、待っていたのは厳しい現実だった。野田市内の家は線路に近く、電車が通ると音を立てて揺れた。三女はそのたびに震災の余震を思い出し、体をこわばらせた。毎朝一人では登校できず、四年生に進級するまで妻が車で学校に送った。妻は慣れない暮らしに心を病んだ。

 中学一年生になった三女(12)を今、支えているのは夏休みや冬休みに実家に帰り、仲の良かった友だちと遊ぶことだ。長男(20)は高校卒業後、福島市内の企業への就職を希望したが、夢はかなわず、悩みながら新しい生き方を探している。

 子どもたちの健康を考えての自主避難。心の奥底で福島を追い求める子どもたちの姿に、菅野さんは胸が締め付けられるという。

 今月七日、訴訟の弁護団らが行った福島県内の原告の自宅などの調査に、菅野さんも同行した。菅野さん宅の雨どいの下で毎時一・七九マイクロシーベルト(地表一センチ)を計測。数値を聞いた弁護団は「高いねぇ」と口々にし、ため息が漏れた。調査を見守った菅野さんは「放射線量が高ければ戻れないし、住めない」と語った。

 原発事故さえ起きなければ、福島市で当たり前のように暮らしていたはずだ。だが、仕事や暮らしの基盤は関東にある。家族の写真を収めたアルバムは福島の家に置いてきた。少しでも荷物を減らすためでもあり、後ろを振り向かずに生きるためと菅野さんは言う。「放射性物質の問題は何も解決していない。福島に戻らないのかと聞いてくる人は、原発事故の恐ろしさを忘れてしまったのだろうか」 (美細津仁志)

<千葉地裁の原発避難者第2陣訴訟> 東京電力福島第一原発事故に伴い、福島市やいわき市など福島県の避難指示区域外から千葉県内に避難した6世帯19人が、国や東電に約2億7000万円の損害賠償を求めて2015年6月に起こした民事訴訟。次回口頭弁論は3月29日。判決は来春の見込み。

 千葉地裁は昨年9月、避難者が損害賠償を求めた訴訟(第1陣訴訟)で東電に計約3億7500万円の賠償を命令。原告、東電双方が東京高裁に控訴している。

 

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