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【千葉】

「習志野俘虜収容所」埋もれた歴史に光 市民プラザで企画展

ロシア兵俘虜の様子を伝える写真を説明する山岸良二さん=習志野市で

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 日露戦争(一九〇四〜〇五年)で、連行されたロシア兵らを収容した習志野市の「習志野俘虜(ふりょ)収容所」を紹介する企画展が、市内の市民プラザ大久保で開かれている。施設内には最大で一万五千人もが収容されたとされるが、当時の資料はわずかしか残っていない。埋もれた地域の歴史を見つめ直そうと、同プラザが初めて開催した。 (保母哲)

 ロシアのバルチック艦隊を破った日本海海戦などで、国内各地にはロシア兵を収容する施設が造られた。同プラザの企画担当理事で、習志野市文化財審議会会長の山岸良二さん(67)によると、最終的に習志野の一カ所に集められたため、一万五千人に膨れ上がったという。

 習志野が選ばれた理由を山岸さんは、東京に近くて監視しやすかった▽広い軍用地があった▽近くに陸軍の騎兵旅団もあった−などと推測する。捕虜ではなく、俘虜と呼ぶのは「日本は一九一一年にハーグ条約を批准し、捕虜を人道的に扱ったため。俘虜には戦場で傷付いたり、偶然敵に見つかった、という意味合いもある」と説明する。

 会場に展示された写真は、習志野の収容所内を散歩したり、食料の配給を待つロシア兵ら。陸上自衛隊衛生学校(東京都世田谷区)内で二〇〇五年に見つかった写真で、今回は一部を拡大するなどして披露した。

 このほか、日本海海戦で漂着したロシア兵を救助した対馬(長崎県)に現存する砲台跡の写真など、計約百二十点の資料を展示。日露戦争時の陸軍の戦時服も飾られた。

 習志野に収容されたのは大半がロシア兵だったが、ロシア軍として戦ったポーランド人やユダヤ人らもいた。施設内では比較的自由な活動が認められ、洗濯室や遊戯室のほか、各宗教ごとの寺院も設けられたという。

 企画展は三十一日まで。入場無料。二十六日午後二時からは講演会が開かれ、山岸さんが「日露戦争の経過」、遠藤由紀子・昭和女子大講師が「大山巌をめぐる女性達」のテーマで話す。地元音楽家によるロシア音楽会も催される。資料代百円。問い合わせは、市民プラザ大久保=電047(470)8171=へ。

 

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