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【千葉】

73年前の「米本空襲」伝えたい 八千代の東京成徳大「平和のための戦争展」

米本空襲の被害地図を作った東京成徳大4年の田村和大さん(左)ら学生たち=千葉市で

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 八千代市米本(よなもと)で73年前に11人が死亡した空襲被害を伝えようと、同市の東京成徳大の学生たちが、住民の体験談や被害状況の地図をまとめ、13日に千葉市中央区のきぼーる1階で始まった「千葉市平和のための戦争展」で展示している。学生たちは「穏やかな生活が壊される空襲を忘れてはいけない」との思いで、記録を残そうとしている。 (中山岳)

 米本空襲は、太平洋戦争末期の一九四五年二月十九日午後一時二十分ごろ、阿蘇村米本地区(現在の八千代市米本)に米軍爆撃機B29が九機飛来し、約七十発の爆弾を投下。四〜七十五歳の十一人が死亡し、十人以上が重軽傷を負った。

 空襲被害を調べたのは、同大人文学部日本伝統文化学科二〜四年の五人で、「空襲研究会」のメンバー。学生たちは昨年十二月〜今年五月、米本地区を訪ねてお年寄り六人から空襲体験を聞いた。八千代市が空襲についてまとめた記録集や米軍側の記録も調べ、犠牲者のお墓を探すなどした。

 戦争展の会場には、被害者が爆撃を受けた場所をまとめた地図、住民の女性三人の証言、当時の米本地区の風景や子どもたちの写真なども紹介している。

 四年の渋谷紗那さん(21)は、当時十一歳だった女性(84)らの話を聞いた。空襲の時、この女性は外にいて爆風で飛び散った砂を頭から浴び、近くの小屋に逃げたという。自宅は全壊。空襲の以前にも、米本地区は米軍の艦載機の機銃掃射を受けることもあったという。渋谷さんは「当時の人が、死と隣り合わせの毎日を送っていたと実感した。できるだけ体験者の生の声を残したい」と話す。

「千葉市平和のための戦争展」の来場者に米本空襲を説明する東京成徳大4年の渋谷紗那さん(左)

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 同研究会の調査によると、米本地区を襲ったB29の当初の爆撃目標は、現在の東京都武蔵野市にあった軍需工場「中島飛行機武蔵製作所」だったとみられる。視界不良などの理由で同製作所への攻撃を断念し、帰路の途中、米本地区を爆撃した可能性があるという。

 同研究会リーダーの四年田村和大(かずひろ)さん(21)は「農村の米本地区に軍需工場はなく、狙われる理由はない。無意味で無差別な爆撃だったのではないか。今は地元でも空襲を知らない人が少なくないが、忘れてはいけない」と強調した。

 学生たちを指導する同大の小薗崇明助教(歴史学)は「学生は空襲体験者からじかに話を聞き、戦争のすさまじさを自分に引き付けて考えている。地域の歴史の掘り起こしにもつながっている」と話している。

     ◇

 千葉市平和のための戦争展は、十七日まで。米本空襲の展示のほか、期間中は千葉市空襲の体験談や被害地図などのパネル展示、紙芝居、コンサートなども開かれる。

 

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