東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 千葉 > 記事一覧 > 8月の記事一覧 > 記事

ここから本文

【千葉】

木更津空襲「基地 主要目標だった」 郷土史研究家・栗原さん調査

資料を手に木更津地域への空襲の状況を語る栗原克栄さん=木更津市で

写真

 太平洋戦争末期の木更津地域への空襲で、米軍が木更津海軍航空隊基地(現・陸上自衛隊木更津駐屯地)を主要目標としていた可能性のあることが、木更津市の郷土史研究家・栗原克栄(かつよし)さん(67)の調査で明らかになった。栗原さんは今月、歴史教育者の大会で研究の成果を公表した。「一九四五年八月十五日に戦争が終わらなければ、さらに多数の死傷者が出ていただろう」と話している。 (山口登史)

 栗原さんは県内の公立高校で日本史を教えた元教師。昨年、国立国会図書館デジタルコレクションで米軍の英字史料「米国戦略爆撃調査団文書」を閲覧できることを知ったことがきっかけで、米軍の資料を詳しく調べた。その結果、木更津地域への空襲は「東京など大都市空襲の余波ではなく、木更津基地を主要目標として行われたことが明らかになった」と話す。

 栗原さんによると、文書の中で、木更津基地は米軍内で、飛行場として「第一位に重要な水陸両用飛行機の基地」、海軍基地として「第一位に重要。東京湾にある日本海軍の補給基地」と位置付けられていた。

 米軍は一九四四年秋から木更津基地への空襲を本格化。四五年二月、五月、七〜八月、基地と周辺の整備工場などへ機銃掃射や爆弾の投下などの空襲を繰り返した。四五年五月八日に木更津基地を第一目標とした空襲では、米軍機百機が出撃し、軍事施設だけでなく、列車や漁船などにも機銃掃射を浴びせた。栗原さんの調査では、日本軍関係者だけでなく、民間人の多くの死者も出たという。

 栗原さんによると、終戦時、木更津基地内や周辺の格納庫には「本土決戦」に備え多数の戦闘機が隠されていたといい、「戦争が長引けば、米軍は関東上陸・制圧に向けて徹底的に攻撃し、民間人にも多数の死傷者が出ていただろう」と話す。

 木更津市が今春創刊した「木更津市史研究」の中で栗原さんは「木更津市域への空襲の実相に迫る」と題して、研究成果をまとめた十数ページの論文を発表した。

 陸上自衛隊木更津駐屯地は現在、米軍輸送機オスプレイの定期整備拠点になっており、陸自が導入するオスプレイも暫定的に配備される見通しとなっている。栗原さんは「木更津空襲の実相に向き合い、基地を抱える意味を、市民一人一人が深く考えてほしい」と話している。

 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】

PR情報