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【過ぎし楽しき千葉の日々 椎名誠】

埋め立ての先 海の家がまた建て直された

人工海浜「幕張の浜」。今は、遊泳禁止になっている=千葉市で、本社ヘリ「あさづる」から

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 長い年月をかけて埋め立てられた幕張の海岸は広大な草原になっていった−−という話を前回書いた。最初の頃は、それらの埋め立て地を連続した鉄の囲いで海水の浸食を防いでいたが、やがてそこはコンクリートによる頑丈な堰堤(えんてい)になり、果てしなく続くと思われた埋め立て工事は、そのコンクリートで囲われたところでひとまず完成されたようだった。コンクリートを固めるための板材が外されると、幅約四十センチぐらいのかなり長大な堰堤ができ、その上をぐるりと歩いてまわれるようになった。

 同時にその埋め立て工事のために取り壊されていた海の家が、その堰堤からさらに先へのびていくように、たくましく再建築され、昔の砂浜の海岸にあったのと同じ屋号(たとえば、千鳥とかいそしぎなどといった名称の…)の店が営業を再開させたのだった。

 正確な距離は今もってぼくにはわからないのだが、埋め立てされた最先端まではおよそ四キロはあったように思うので、もう駅から歩いて行ける距離ではなくなった。潮干狩りの観光客などはどうやってその海へ行ったのか、あまり覚えていないのだが、たぶんそれぞれの「海の家」が独自の送迎バスを仕立てて、お客さんを招き入れたのだろうと思う。

 従前の、砂浜から海に向かって建てられていたときよりも、約四キロも沖に造られたわけだから、潮干狩りの客は海の家から海へ出ると、かつての海岸からもう四キロ先の沖合に出ていくことになる。だからそうなると、潮の満ちてくる期間が早くなり、今までのような時間の幅で潮干狩りができなくなっていたと思うのだが、そのへんもどうなっていたのか、なぜかぼくにははっきりした記憶がない。

 ぼくはその頃には中学生になっており、海へ行くと満潮時を利用して、どんどん沖へ泳いでいくようになった。満潮になると、海の最先端から五百メートルも行かないうちに、もう子供には背の立たない深さになる。

 さらにその当時のそのあたりの海には水脈(「みお」と読む。海の中の川のようなもの)があり、今までいた場所からほんの五〜十メートル横に移動しただけで自然の流れがあり、ぼんやり泳いでいると沖に流されていったり、あるいは満ち潮のときは陸に流されていったりするのだ。それを知らないで沖にどんどん進んでいくと、けっこう危険でもあった。でもまあそこに住んで十年もたっているから、ぼくはすっかり地元の子供であり、海の中の水脈がどのへんにあるか大体わかっていた。

 その頃はまだべか舟という一人か二人が乗れる程度の小舟が沖合に刺した竹ざおなどにつながれており、よく知った屋号(沿岸漁師には独特の符丁があった)の舟をちょっと借用し、泳がずにずんずん沖に進んで行ったりした。

 荒れている海では危険だが、遠浅の海はそのへん沖合遠くに漂流してしまうこともなく、なかなか快適な舟遊びだった。 (作家)

 

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