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【過ぎし楽しき千葉の日々 椎名誠】

注意事項の看板 「幕張の浜」というのをはじめて見た

埋め立て工事の後には、人工海浜が造られた(椎名誠さん撮影)

写真

 前回書いた埋め立ての先の海の家は、そんなに長い間は営業していなかったような気がする。その頃になると、ぼく自身が子供の頃のように夏には毎日海辺に行くというようなことがなくなり、記憶は断片的になっている。たぶん、受験期に入っていたのだろうと思う。ときどき行く埋め立て地は、たくさんの工事用の車が入り込んでいて、とてもにぎやかになっていた。幕張新都心のさまざまな施設の基盤工事が始まっていたのだろう。

 そうして、ぼくは十九歳のときに千葉から東京に戻ってしまったので、あの暑くて熱い青春の貴重な日々を、大切な記憶として心のうちにとどめていたのだ。

 幕張メッセの巨大な建物が遠望できるようになった頃、ぼくがよく遊んだ一帯まで車で近づけることを知った。そしてもうそのときには海の家は完全に撤去され、一軒もなかったように記憶している。見慣れない真新しい石碑が建っており、そこには「幕張の浜」と書いてあった。初めて見る文字だった。そうか、ここは幕張の浜だったのか、と少し苦笑する思いで眺めていたものだ。

 子供の頃、ぼくたちはこの海を幕張の浜などとは呼んだことがなかった。なんと呼んでいたのかよく思い出してみると、ただ「海」と言っていたように思う。海だから海で、それ以上なにも付け加えることもなかったのだ。

 話には聞いていたが、目の前のコンクリートの堤防の向こうに砂が敷き詰められていた。かなり広い面積で、これは山の方から大型トラックで何杯も持ち込んできて、人工の砂浜をつくったものだった。平日の午後だったように記憶しているが、浜には人の姿はなく、あいかわらず穏やかな東京湾の内海特有の静かな波がその見知らぬ砂浜に打ち寄せていた。初めて見る人にはきれいな浜と見えただろうが、ぼくには沿岸漁師の姿もその人たちが操るべか舟もない海は、数分間見ていると飽きてしまうような、平凡なありふれた海の風景に過ぎなかった。

 その砂浜の真ん中あたりに大きな立て看板(たたみ二畳ぐらい)が三つか四つ立ち並んでいた。そこには「利用者のじゅん守事項」と大書きされている。じゅん守とは難しい言葉だ。子どもには理解できないだろう。たくさんの注意事項が書き並べられていて、全部読むのにけっこう時間がかかる。書いてあることはありふれた注意と禁止事項の羅列で、人に迷惑をかけるなとか、花火を上げるなとか、やたらに穴を掘るな、などという事項で、いきなり飛び込むのはやめましょう、という文字などは、見てすぐ笑ってしまった。遠浅の海で、泳ぐまでの深さに行くには最低十分はかかるし、飛び込む場所さえなかったのだ。

 いちばん笑ったのは、つぎの人は泳いではいけません、という項目で、そこには、記憶では心臓病、腎臓病、高血圧、腸カタル、リウマチ、脳血栓、筋肉のけいれんする人、などなど。泳ぎなさいと言っても、私はいやです、と首を振るような病名が羅列されていたことだった。 (作家)

 

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