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【過ぎし楽しき千葉の日々 椎名誠】

ゆるやかな家出 消えていった袖ケ浦の生き物

幕張メッセ(左端)が開業したばかりのころの幕張新都心。ビルも次々と建設された=千葉市美浜区で

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 幕張を出たのは十九歳の頃だった。単身、身の回りのものだけ持って東京の下町のアパートに仲間四人、六畳間での共同生活をはじめた。同じ幕張から同行したのは一人だけで、あとは高校のときに東京に転校した友達とそいつの親友という組み合わせで、とくに四人が深いつながりを持っていたわけではなかったが、俗に「ひとり口は食えないが二人口は食える」(一人では経済的にやっていけないが複数ならなんとか)といわれているのを実践したのだった。

 毎日この四人が顔を合わせる、というわけではなかったが、互いに生活費を出し合って共同生活をするのは思った以上に楽しかった。だからぼくの母親には「ほんのちょっと仲間と合宿生活をしてくる」と言って家を出たのだが、結局そのまま幕張には帰らなかった。まあ簡単にいえばゆるやかな家出のようなものになったのだろう。

 越してきた古いアパートには洗濯する場所もないほどだったから洗濯物がたまるとそれぞれ実家に帰って洗ってもらう、というあまったれた共同生活になっていた。そのため週に一度ぐらいの割合で洗濯物の入った袋を持って幕張に帰った。洗って乾くまで一日はかかるから、そのときは実家に泊まることになる。

 自転車で必ず海を見に行った。その頃は「幕張草原」はほとんど消えていて、ほんのついせんだっての記憶にある風景はもうどこにもなかった。いたるところでいろんな工事が行われていて、そのあたり全体がバクハツするような活気に満ちていた。何よりも驚いたのは、いままでその町では見たこともない鉄骨コンクリートの高層ビルがあちこちに建設されつつあったことだった。

 地元に帰るといろんな情報が耳に入ってくる。幕張の海岸は単なる再開発の域を越えて、そこに東京を補佐するようなかたちで巨大で多機能な「新都心」をつくろうとしているらしい、という話を聞いた。

 なるほど、同じ頃にやはり急ピッチで拡大整備の進んでいた成田の国際空港と東京都心を結ぶにはちょうどいい中間地点になる。大きな国際的なイベントなどが行われるアリーナのようなものもつくられるといい、びっくりしたことに本格的な野球場の建設も始まっていた。

 袖ケ浦といわれたそのあたりで小さな魚や貝を捕っていたぼくの記憶のほうがまだ鮮明で、そこに高層ビルなどが出来る、ということを聞いてもにわかに信じられない気分だった。もうその頃になると夏の季節になっても潮干狩りなどのために海にやってくる人はいなくなっていたのだろう。

 ぼくは埋め立て地から外れた古びた(懐かしい)海岸からその建設現場を見て、この巨大な埋め立て地とその上に並ぶ建造物の下に何億という海の小さな生物が埋められてしまったのだろうなあ、としばしの感傷に浸ったりしていたのだった。 (作家)

 

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