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【過ぎし楽しき千葉の日々 椎名誠】

ノリとカニと貝と できたての海岸の感傷的な風景

「近代都市」に発展した幕張新都心地区=千葉市美浜区で、本社ヘリ「あさづる」から

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 幕張に住んでいたのは四歳から二十一歳までだった。人生で一番多感な時期だったから、その後東京で暮らしていても、ことあるたびに幕張のことが気になった。幕張メッセという思いがけない都市化への変化が急激で、驚くことばかりのニュースを耳目にしていた。

 ぼくがサラリーマンになったのは二十二歳だったが、勤めていた小さな会社が銀座八丁目にあって屋上に行くとビルとビルの隙間から東京湾がチラリと見えた。子供の頃からずっと見てきた風景の切れっ端だったけれど、仕事が忙しく厳しい時など「それ」を見るとなにかがなごんだ。

 日曜日などにときどき息抜きのために幕張に行った。まだ母や兄などが住んでいる実家があったし、小学校の頃からの親しい友人たちに会うのも楽しかった。子供の頃とはちがって居酒屋などでビールなど飲みながら昔話をすることができる。いきなり行ったのにいつのまにか五人、六人と昔の遊び仲間が集まってきてちょっとしたクラス会のようになっていた。まだ携帯電話などなかった頃なのによくあんなに迅速に集まれたものだ、と今になると改めて感心する。そういう場での話は、急激に変わっていき、どんどん変化している幕張メッセのことが多かった。

 やがて超高層ビルのホテルができる、大規模なマンションや学校がいくつもできる、プロ野球の試合が行われるような本格的な野球場ができる、などというオドロクべき話がとびかった。「つまり、総合して東京をしのぐ近代都市になっていくんだよ」などと都市評論家のような顔をして大きなことを言う奴もいた。子供の頃、まっくろになって海岸を走っていた千葉っ子が「つまり」なんていうのがおかしかった。でも自分たちの予想をはるかにこえた変化を現実に目にしているのだからみんな気分よくそんな話に大きくうなずいていた。

 そういう日は夜更けまで飲んで実家に泊まっていき、翌日東京に帰るまえに海を見にいった。埋め立て地の先に大量の土を敷きつめた人工海岸がつくられはじめた頃だった。

 昔の本当の海岸をたくさん見てきた目にはなじみのないきれいな海岸がひろがっていてちょっと鼻白む気分だった。そのあたらしい海岸には昔の海岸に必ずあったアオサ(青ノリ)の腐った堆積もなく、湘南あたりの海のように波が直接海岸を洗っていた。ぼくは靴や靴下を脱ぎ、ズボンをまくってちょっとだけ海の中に入った。できたての海岸には逃げていく小さな稚児蟹(がに)や足の裏にあたるニナ貝のこつこつした感触もなく、波打ち際にかならずある命のせめぎあいのような体感がなにもなかった。

 できたての海岸、というのはなんとも鈍感で心細いものだった。でもこの海岸もやがてそれなりに成長していくのだろうな、という予感もした。そして自分がいかにいい時代をここで過ごしたのか、という感傷から逃れることはできなかった。(作家)

 

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