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【過ぎし楽しき千葉の日々 椎名誠】

埋め立て地創成期 泥田の茶色が緑に変わっていく

人工海浜「幕張の浜」では、今も子どもたちの歓声が響く=千葉市美浜区で

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 ちょっと書き急いでしまったのに途中から気がついた。何しろ幕張新都心の大規模施設が毎日ずんずん大きく広く拡大していくので、その変化と成長を眺めていた記憶を引っ張り出していくと、こっちもどんどん早足のようにしてそのへんのことを書いてきてしまったのだ。

 ここで気分としては何年かさかのぼってタイトルの「過ぎし楽しき千葉の日々」をもう少し落ち着いて書き加えていきたいと思う。ぼくの記憶の中では、この章の中で何度かにわたって書いてきた、埋め立て後の土地の変化に対する驚嘆も含めた自然の力強さが記憶の中で相当大きかったのだ。

 数年にわたって印旛沼およびその周辺から干拓のような状態で大量の土砂が埋め立てされていく。それは最初の頃は足を踏み入れると、子供など腰までもぐってしまいそうな危うさで、当時は何かと大ざっぱだった工事関係者も、その状態の広大な泥田に見えるエリアへの侵入禁止を告げる看板をあちこちに貼っていたし、野生動物のようにしてそれでも侵入していくぼくたち子供らを監視する怖いおじさんが何人かいた。

 まだ埋め立てされる前の自然のままの海岸にたくさんの潮干狩り客がやって来ていた頃、子供たちの間で恐れられていたのは「浜番(はまばん)」とよばれるおじさんたちで、当時はその人らは無断侵入(貝とり券を買わない)する潮干狩り客を取り締まったり、事故の有無を見回る仕事をしていた。ぼくたちはもちろんそのおじさんから「貝とり券」を買うなどというアホなことはせず、地元っ子の強さそのままに、いちばんたくさん稚貝をまいているところから少しはずれた場所で、二、三年越しの大きく育ったハマグリやアサリなどをとっていた。

 前にも書いたかもしれないが、地元の子は貝採りの道具などはほとんど使わず、もっぱら自分たちで作った竹べらを道具にしていた。浜番のおじさんはそういうこともよく知っていて、まあひと夏に二、三回、子供らのグループはそのおじさんに怒鳴られ、追いかけられたものだ。

 そうした天然の海岸が泥田に覆われてしまった。しかもそれが年ごとに拡大していく一方なわけだから、ぼくたちは激しくその味気ない泥田の風景をにらみつけていたのだ。

 泥田は次々と埋め立て地に堆積していき、その表面からどんどん水分が蒸発し、それを追い抜くようないきおいでいろんな海浜を好む草花が生えていくのを、何か不思議な大自然の変化をわがものにしたような気分で眺めていたものだ。塩っけや、やはりその気配を濃厚にした海風などに強い草は、大げさな表現ですれば、一日ごとにそのスペースと草の色を成長、変化させて、すばらしいエネルギーに満ちた風景の変化が休みなく続いていた。草は土地ごとに運ばれてきた根や種によってその群落の質や成長度合いが違っているようで、それらを見ながらぼくたちは自然にそうした海浜に適応した草花の名前などを知っていった。 (作家)

 

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